原町無線塔誕生物語
二上 英朗·2017年2月27日表示5件
無線という技術が発明された時に、欧米列強はそれが国家の趨勢を決定する最先端技術であり開発競争はしのぎを削った。近代化をまっしぐらの日本では、明治期、国際博覧会で最新鋭の機械の外観を見ただけで、工夫して同じ性能の機械を作り上げしまうだけの知恵と技術を準備していた。
大正初期、海外雑誌の電波発信機の写真だけを参考に、逓信省佐伯美津瑠工学技手は国産の電弧式発信機という巨大な電磁石付きの黒光りする鉄の釜のような機械を作り上げ、国産の国際無線施設である原町無線送信所で使用された。
炭素電極に強力な電圧をかけて火花スパークを巨大なアンテナで放電させて遠距離の国際無線に使った最初期の代物だが、すぐに高周波発生器という発電機を通信機にしたものに改良されて、初代オリジナルは昭和初期に理化学研究所に供与された。
理研は仁科博士がひきいる日本の原子核物理研究のセンターで、戦争になって陸軍から原爆製造を命じられ、基礎研究のため、あの鉄の釜はサイクロトンとして使われたという記述は「日本無線史」で読んでいた。
わが町の無線塔の機械技手として働いた当時の職員の古老へのインタビューで、制服の金属ボタンが全部電磁石にひっぱられて、こっけい映画の一場面のごときその強力なことは聞いていたし、黒光りする鋳造の鉄釜の形状の写真は取材で入手し、なじみがあった。
それが、古いGHQの歴史的フィルムの中で再会したのだ。
わたしの著書「原町無線塔物語」の中にも、数行紹介してはあるが、国産サイクロトロンの開発秘話は、これだけで一冊の本が書けるほどのロマンをかきたてる。
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