4月3日、土曜日の朝早く、荷物をまとめて東京から引っ越してきた。その途中、茨城の十王で、道路からパラボラ・アンテナが見えた。JFKが暗殺されたときに、初の日米宇宙中継で、テレビ放送で生放送されたKDDの施設だ。トラックの運ちゃんが、大熊あたりで、原発を見つけて「こんなところに、こんなものがあるのか」と、驚いていたのを思い出す。東京で暮らしている人間は、自分たちが使っている電気が、どこで作られていルカを、ほとんど知らない。あれから40年もたって、福島で事故が起きてから、知ったのだ。

まだあった大手先の逓信博物館や、新宿のKDDセンタービル、国土庁、外務省、郵政省、愛宕山の放送博物館、川口のNHKラジオ局、などなどを取材して、卒論代わりの「無線塔ものがたり」を書き上げた。

姉夫妻が、その年から開店させたみうら食堂も、この2月で、避難先から帰ってこない客の激減で、やむなく閉鎖した。

おかもちを持って、出前の配達をして食堂の手伝いをしながら、原稿を書き上げた。運よく、福島中央テレビの創立10周年で刊行した「ふくしま文庫」の一冊として、出版できた。翌年の福島県出版文化賞を受賞した。それでもなお、地元の人たちは、無線塔のことを、見てはいても、よく知らなかったのだ。

あれから40年もたって、初めて「無線塔」特別展示が博物館で行われる。思えば長い道のりだった。個人が保管できる歴史史料のタイムリミットだろう。

廃棄するついでに、少しばかりを余話として、メモしておく。

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