昭和15年 無線塔で航空無線研究

東北大学工学部航空無線原町実験所跡
太平洋戦争開戦前夜に電波探知機の原理を解明し、移動体目標物の距離と角度を宇田・八木アンテナを発明した現場は、原町の無線塔跡地だった。昭和16年の開戦で米英軍は、日本軍兵士の捕虜を捕えては「WHAT IS YAGI ANTENA?」と尋問した。
英米軍は、レーダーの開発でロンドン空襲のナチス独逸を防御し、米艦隊は夜戦を目視で戦う日本帝国海軍をレーダーと真空管つき指向性砲弾とで撃滅した。
日本帝国の軍国主義と精神主義は原町無線塔で生まれたレーダーという宝の持ち腐れで負けた戦争あった。

原町送信塔を利用して研究
大空へ挑む・航空無線を測定探知
東北帝大付属電気通信研究所、原ノ町実験所は福島県原ノ町国際無線株式会社所有高さ二百米の無電送信塔を向後十ヶ年に亘り無償借用契約成立、同送信塔周囲の設備(登録設備及実験装置その他)は同実験所経常費二万一千円の外にこの程外部からの助成金を得て万全成り、研究陣が宇田新太郎教授が主任担当、助手、実験補助五名を配し近代科学の精鋭を集中いよいよ大空探求へと雄々しくスタートする、同所の研究は航空無線の通信と測定探知に積極的挑戦を行ふものであるが、殊に
(一) 対地高度計の製作=従来は気圧計によって高度を計ったがこの方面は海面を基準とするものだけに山岳地帯飛行の危険は免れなかったが対地高度計は名の示す通り地上を基準とするもので此種類は一掃される
(二) 空と地上の連絡(航空通信)
(三) ビーコンの改良=従来ビーコンに各国共電波を使用してゐたが、中波の利用は余りに多く、ために電波錯綜の憾があったが、この中波を超短波に代へてビーコンの改良を行ふもの
以上三研究は世界に誇る本邦科学振興の最前線に行くもので、更に先に超電波、極超短波の研究は通研独自の進捗が示されて航空無線の機曾が確立されてゐる関係上この実験所の洋々とした将来は学界航空界の期待を呼んで異常な注目の的となってゐる
昭和15年7月27日民友新聞

大空へ挑む研究陣 電気実験所愈よ着手 原町の無電塔更生
宮城及近県版 昭和15年7月27日民報

注。宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月1日 – 1976年(昭和51年)8月18日)は、日本の工学者。元東北帝国大学教授。専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られる。wikipedia

二上注。つまり日本のレーダー原理は原町で誕生していましたが、頑迷な軍部は科学者の先端技術を認められずに無視し、英米に先にレーダー兵器化されて敗れたのです。

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