わたしのパンツを無断で穿くな 富岡町教育委員会に著作権侵害で物申す
平成22年度T町文化財普及啓発事業富岡町歴史民族資料館 第六回企画展「写真で綴るT町」という写真集が、2011年2月10日に発行された。昨年の震災の直前のことだ。富岡町教育委員会生涯学習課。
 その中に1ページが、磐城無線電信局T受信所」という項目で、
(1)(2)の元写真はよく知られているが、ここに掲示されたカラー印刷の文字入りの絵葉書は初めて見る。ところが、解説のキャプションに「大正10年頃」と記述されていて、完全な間違いだ。昭和3年の日本無線株式会社の改修記念はがきである。
(3)の受信所の全景(大正中期)というのも間違い。昭和以降だ。
 テーマに関して基本的な知識のない人物(おそらく学芸員)が、いい加減に勝手につけた無根拠の記述で、しかも(3)(4)(5)(6)ともに、すべて私の写真集「原町無線塔六十年史」から無断で盗用している。網写真の二重重ねで発生する複写のモアレ模様まではっきりと浮かび上がっている。
(4)の米村嘉一郎氏の写真などは、私が米村氏の自宅で米村氏のアルバムから接写したときの光の反射が写りこんだ部分までそっくり同じだ。私の個人的な活動記録や、当時の皮膚感覚まで思い起こすような写真なので、自分のパンツを他人に使われたような嫌悪感と生理的な気色悪さを感じてしまう。
(5)富岡受信所のアンテナ増設時の写真か、と書いているが、これは関場建設の工事写真で、大正12年の木柱取替え工事の写真である。富岡のものにしてしまおうという、期待感が、自分の筆で、史実の改ざんにまで到ってしまった行為に気付かないという悲しさ。
東電から金を貰って次々に公共建物を建てたものの、中身が薄くて人材も薄い。文化財行政も、金をかけて、美麗な写真集を作ってみたものの、やっている仕事は間違った歴史をばら撒いているに過ぎない。
ほかのページについては、わたしの専門外だから言及しないが、裏表紙に明治41年の皇太子行啓の宿泊所になった富岡町の双葉郡郡役所の写真を、お上大好き福島県写真集から使用したあたりは、皇室の権威におもねった明治の官製価値観そのものを、平成の御世にも、若い学芸員が引きずられているのかと思い、呆れた。

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