わが原町市は、南相馬市となった平成18年から以後の町村合併ののちの原町区という旧町地域である。役場はほぼ同じで、鹿島町の役場と、小高町の役場がそれぞれ区役所となって、実質的に変わらなかった。政府の平成の合併の時は、地方行政の財政改善を目的とした合併事業だったのだが、実際には、地方の役場が合併によって無能な職員をごっそり減らすためのものだった。頭のいい官僚がいかにも中央で考えそうなことである。
しかしながら、田舎の役人は、何も変わらないことを知っていた。昭和64年までと、その後の平成18年の長きにわたって、のほほんと惰眠をむさぼってきたので、危機感もなかった。さっぱり無能な人員が減らされる空気はなかった。もともと就職した職員は親が市長選挙で功労があっての結果であって、やめさせる理由にはならまい。決めるのは合併を唱道した国の有能な官僚ではなく、知悲報の担当市長だからだ。
どころか、合併の尻を叩くにあたって、政府の官僚は、新市が一定期間に市債で箱もの行政をすることを許したために、かけこみ行政で、無駄な箱もの行政の計画がばたばたと立てられ、約束どおりに政府は通過させたからたまらない。
あとで維持費がかかって、利用住民も激減し、さっぱり費用対効果の効率の悪い、要らなかった施設であったことに気がつくのは、次の首長が選挙で市長や町長の椅子にすわってからのことである。
「失敗したなあ」と懸命な住民が思うのも、その頃のことである。こうして、合併町村は、疲弊への道を相変わらずつき進むのだ。
さて、無能な地方吏員というのはどのような人のことであろうか。
たとえば、こういう具体的な人のことである。実例をあげる。
ここに掲げたのは日本画家中野蒼穹氏が描いた原町無線塔の凛々しいお姿である。
ある秋の日のことである。市役所職員が、町の美術家門馬俊之さんの経営するモンマ時計店に、このチラシの絵を持参してやってきた。
そろそろ始まる市美展のチラシである。今年は、日展で活躍する原町生まれの中野蒼穹画伯に頼んで、秀麗な原町無線塔のお姿を描いていただいた。
そして言い放った。「門馬さん、あんたの無線塔の絵は間違ってるよ」と。
門馬俊之さんは、町の画家である。時計商を営みながら、日本画を描く日曜画家である。
そのころ無線塔は、町のシンボルとして、老朽化で解体撤去するか保存して市民のよりどころとして観光や市の看板代わりにしようかと市民のあいだでも」議論がかわされていた。だからこそ、役場としてもこの秋の美術展覧会のチラシに無線塔の秀麗なお姿を日展作家の原町生まれの中野蒼穹画伯に頼んで、わざわざ描いていただいたのである。減が役場のどこかに飾ってあるのだろうが、画料はいくらぐらい支払ったのであろうか。けっこう、高い値を積んだのではあるまいか。
(つづく
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