南相馬の百年写真館シリーズ第16回
あの日の空も青かった
南相馬の戦争と平和70年 No/2
野馬原と呼ばれていた草原は、漢詩人佐藤双峰の命名で明治に雲雀ケ原と美称された。
大正6年に「鳳」号のエンジンを再利用して民間飛行家白戸栄之助が製造した「薫」号で初めて雲雀ケ原を飛翔してから百年を迎える。満州事変、日中戦争、太平洋戦争と嵐の季節に、軍都をめざした原町に陸軍飛行場ができてわずか6年で、空への憧れの翼は折れた。南相馬の空に舞った多くのヒコーキたちの物語を、幾多のイカロスたちの夢を追憶して郷愁の空に彼らの儚い夢を再現しよう。311を乗り越えて、希望の空へ。
原町私史2・3・7「昭和史への旅」「原町空襲の記録」
「遥かなり雲雀ケ原、原町陸軍飛行場ものがたり」より
南相馬市図書館ギャラリー 7月14(日)~26(日)日
1 大正6(1917)白戸式「薫」号が初めて飛んだ雲雀ケ原
2 大正8(1919)ニューポール甲式4型とサルムソン型と
3 大正10(1921)無線塔開局式に原町上空を「黒猫」号
4 大正11(1922)原町本町大火と陸軍航空隊大演習
5 昭和3(1928)郷土が生んだイカロス鈴木克衛の訪問
6 昭和3(1928)野馬追祭礼に朝日機が撮影飛来した
7 昭和5(1930)民間飛行家たちの航空ページェント
8 昭和7(1932)飛んだ我等の愛国46福島号の献納
9 昭和9(1934)海軍報国72「福島」号は艦上戦闘機
10 昭和11(1936)芸者も祝って原町飛行場が開場す
11 昭和12(1937)日中戦争の年、原町県営飛行場誕生
12 昭和14(1939)開拓農家を強制移転させて飛行学校
13 昭和15(1940)熊谷飛校の郷愁の赤とんぼ練習機
14 昭和16(1941)太平洋戦争開戦と陸軍97式戦闘機
15 昭和17(1942)ナチスドイツのオットー大使来る
16 昭和18(1943)鉾田飛行隊と陸軍航空士官学校生たち
17 昭和19(1944)陸軍99式襲撃機と2式複座戦闘機
18 昭和20(1945)グラマン戦闘機とアベンジャー雷撃機
19 昭和20(1945)B-29と一式「隼」戦闘機3型
20 平成27(2015)熱気球と浮いた子供たちの大空への夢