大正14年にまつわる国有形文化財の因縁

 県内6か所24件の建築物が国の有形文化財として新たに登録された。南相馬市からは県会議長から代議士になった原町区の太田秋之介の住居が典型的な農家として、また小高区の日本国憲法学者鈴木安蔵博士の生家が典型的な商家としてこのほど文科省で登録された。
 偶然だが、太田氏は大正14年に小高町郊外の井田川浦という干潟を干拓して地主となり県政に名をあげ、鈴木氏は同14年の治安維持法で学生逮捕者第一号となり戦争中に言論弾圧を終戦まで忍耐し、戦後日本の原型の日本国憲法の草稿を書き上げた。
 立場は異なれ日本史の重要な役割を果たし、その住居が国の有形文化財として保存の道が開かれた。
 今は無き井田川浦は鈴木安蔵の父が愛した景勝地で、遺族の鈴木千代さんによると若き日の大伯父の療養日記も残っているという。
 3.11災害で混乱した20km圏の文化財の消滅が心配されたが、力強く復興とともに歴史の手掛かりも大切に残したい。

福島民友2018・7・21写真より

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