2.6.おばあちゃんが死んだときは雪だった

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ぼくの最古の記憶は、祖母が亡くなって雪の日に葬儀が行われた情景だ。道に雪の積もったありさま。おおきな葬儀用の花輪のてっぺんについていた鳩のつくりものが、とても好ましくてほしかった。

いや、蚊帳の中に寝ていた祖母にキスをせがんだのを覚えているから、在世中の記憶だろう。たぶん3歳のとき。最近、80歳になった叔母から聴いた話だと、二十歳くらいの叔母が中卒で上京し、看護婦をしていたが、母親の介護を理由に田舎に帰って実家で暮らしたのが昭和33年だったというから、そのころのことだ。

ちまたには、だっこちゃんという黒んぼのビニール人形や、フラフープが全国に爆発的に流行し、叔母や津今日みやげに持って帰った記憶もある。

東京で、娯楽の王様の映画を見る習慣を身に着けた叔母は、原町にきても、映画を見に行っていたという。母の看護というのは口実で、たしかに晩年ではあったが、死去が喫緊ではなかったらしい。

そのころ、原町映画劇場は東宝と日活の専属で、朝日座は投影と大映の専属館だった。日活の都会的なコメデイや石原裕次郎のアクションは叔母の楽しみだったが、幼い僕には、ちゃんばらの朝日座のほうが合っていたから、原町映画劇場の日活ものはつまらなく思って、っ中で一人で家まで歩いて帰ったことがあった。

現在の平成通りというのは、かつて北原堀という人工のクリークの上に道路を拡幅したみちだったから、それを伝ってゆけば帰宅できると考えたらしいし、かすかにそのときのことも覚えている。

すでに結婚して三児の母親である姉の手伝いのために、末っ子のぼくの子守ついでに映画館に一緒に連れて行ったという。気がついたら甥が館内にいない。さあ大変となって、家中総出で近所を探し回ったそうだが、探しても探しても、見つからない。夕方になって、押入れに入ってすやすや眠っているのを発見されたという次第である。

朝日座では「月光仮面 悪魔(サタン)の爪」という巻を強烈に覚えている。女人に手を引かれて、映画館に入ったのは覚えているので、母親だったろうかと、ずっと思っていたが、叔母が数年前に東京暮らしをたたんで田舎の実家に戻ってきて、はるか昔の事情を語ったことで、事実がわかった。

ニュース映画かドキュメンタリーか、フランスのツールーズ自転車レースの情景、苦悶する選手の表情まではっきりと覚えている。

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