「校庭では三三八一部隊の兵隊たちが綱で引っ張る木造戦車がガラガラと音を立てていた。この戦車に飛び乗っては、手りゅう弾を投げつけ戦車を分捕る訓練をしていた。やり方が悪いと隊員が見ていて、「戦死!」と大声で怒鳴っていた。今考えるとまさしく大人のままごとであるが、当時は実戦と錯覚を起こすほど真剣であった」

富岡国民学校に勤務していた坂本勝(夜の森南)は、「随筆」「七センチのくぼみ」の中でこう書いている。

松川水原にお住いの私の娘の舅にあたる男性(大正12年生まれ)も、傳部隊での訓練で、米軍の戦車に爆弾を抱えて突っ込む訓練をさせられたという体験を語っておられた。

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