「はらまち市」の駅名が「はらのまち」になった由来

幕末に編纂が開始されて明治4年に脱稿された「奥相志」という地誌によれば、現在の原町市の中核部分は抜けていて茫漠たる草原であり、その周辺に多くの村が点在するのみだった。
原町という正式地名はなかった。ただ通称として、陸前浜街道沿いに宿場をなしていた場所誰いうとなく「原の町」と呼んだ。原っぱの真ん中にできた町という意味である。
明治になって正式名称が与えられた時に、ここは南新田という、はなはだいかにもな新開地の名で呼ばれた。
やがて明治二十二年に、町村制によって周辺の村が石神、太田、高平、大甕の四村に収斂され、中心の南新田と隣接の桜井村と海岸沿いの上渋佐、下渋佐の両村とがまとめられて原町村となった。
そして明治三十年六月十五日に町制を敷いて原町と改称した。呼び名は「はらのまち」だった。その名残が駅名に痕跡を留めている。
現在は昭和二十九年から原町市になったが「はらまちし」と呼ぶが、駅名表記は原ノ町で「はらのまち」と呼ぶ。この紛らわしさには、こうした自治体の歴史的変遷が背景にある。
(政経東北「相双の中核都市目指す原町市百年の課題を探る」より)

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