主として福島県の防衛にあたったのは、第72師団(傳部隊)であった。19年仙台第二師団留守部隊を基幹として、歩兵一五五連隊は若松で編成、一五二連隊は山形で編成、一三四連隊は仙台において編成された。
 この傳部隊の直接防備地域は、浜通りからあぶくま山地であり、米軍が上陸してきた場合、海岸の防御陣地で迎えうち、水際撃滅し、その後、阿武隈山地に引き入れて戦う計画であった。そのため海岸線一帯に陣地を設け、また阿武隈山地の防衛拠点づくりに汗を流していた。
もし米軍が関東に上陸し、関東決戦となった場合は、中通りより宇都宮を通り、決戦場に向かうことになっていた。
 歩兵一五五連隊の本部は、二十年四月までは三春町におかれたが、そのあといわき平に進出し、磐女高におかれ、さらに磐崎小に移っている。
 第一大隊(原町高)、第二大隊(いわき泉小)、第三大隊(磐女高)のほか田村地方にも分散していた。
 富岡町には、傳三三八一部隊(約二五〇名くらいか不明)が配置され、富岡国民学校東端のニ教室と講堂を宿舎として使用し、本土決戦に備え、毎日訓練と防衛陣地づくりに汗を流していた。
 さらに富岡町には専売公社に傳三三一九部隊が、現役兵二五名が駐屯。小銃一五〇があったといわれる。

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