伊達郡の戦後映画館
●伊達 伊達には、福島市民家園に移転して有名な梁川広瀬座があったが、映画館としての設備は価値なしとされて取り外された。戦後は梁川映画劇場という館もあったが、広瀬座移転保存の話題の陰でその存在すら薄いまま。保原には、古くは明治の新栄座、大正9年開館の保原劇場に引き続き、戦後は保原映画劇場(佐藤巳作)が稼働。保原劇場の44年頃の経営者・支配人は佐藤美喜男。伊達町にも駅前に映画館があった。桑折町には明治20年開館の桑折劇場。国見町には藤田錦座という古い館があり、戦後は藤田演舞場(劇場)あるいは藤田館が稼働。
川俣町には明治21年創立の川又座(大正4年改築し5年頃に常設化)と、大正9年生まれの川俣中央劇場が戦後も活躍。飯野町には共楽座、霊山町には創立者の名を冠した掛田菅仁座があった。(二館とも建物が残存)
映画年鑑の昭和27年版には次の二館が掲載されている。
藤田演劇場 600 アーバン スーパー 松・大 伊達郡藤田町 菅野常助 菅野常助
川俣座 850 新響 山田フォーン 松 伊達郡川俣町字仲町斎藤幸作 斎藤幸作
我が家の近所の加藤理容店の奥さんが出身の月館町には、「定舞台」と呼ぶ館が映画館として戦後も活曜し川俣座からフィルムを融通して「ひばり」映画や「青い山脈」などを上映。お盆などには満員盛況のにぎわいをみせたという。明治に誕生した月館座の戦後の姿であろう。経営者が映画館を整理したあと、さっさと土地を町に寄付したので、跡地には記念石碑が建っている。
二上英朗「ふくしま映画100年」より
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