消え行く面影 維新前後の福島の話
郵便局の歴史
福島郵便局が設置されたのは明治五年七月一日である。我が国に郵便事務が行はれた明治二年に遅るること三年である。最初は福島郵便局取扱所と称し明治七年九月一日福島郵便局と改称した。そして電信分局も設置され初めて電信事務が取扱はれることになった。
為替は翌八年四月、貯金は十年九月、外国為替は二十二年四月、小包み郵便は二十六年二月、電話は四十年十二月に開始されたのである。場所は現在のままである。
劇場の創始
福島に舞台と称すべき本式の劇場が建てられたのは明治になってからである。福島藩では遠き昔から会津の保科正之、二本松の丹波長重、白河の松平定信等によって遊芸を取り締まったので当時河原者といっていた芝居者の踊るべき舞台を建てることが出来なかったためである
福島最古の歴史をもつは明治十一年代町に建てれた尾上座である。場所が悪いのでだんだん衰微し明治二十五年飯坂に移してしまった。イマの旭座が其の後身である。
福島座は明治十五年、甚兵衛火事の後、小山下の方に市街地の延びることを知って新庄肇といふ興行師が建てたものである。当時はまだ周囲に十二三軒の家しかなかった淋しい処であった。
新開座は明治二十年十二月十五日、鉄道の開通と共に福島駅前(今の誠壱社)に建てられたが誠壱社の発展と共に荷置き場になったので現在の処に引移った。それは建築後僅に三年であった。
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