1011133_481573231933807_1666300134_n桑折座貸与記録にみる活動興行

桑折町では明治期から桑折座という劇場を持っていた。桑折座の運営規定などの文書が今に残っている。「桑折町史」第7巻資料編4近代資料によると、桑折座は明治20年に千円で建設された。舞台開きは4月23日より東京歌舞伎が興行されている。なお以前には法演寺の境内などが(芝居興行等に)頻繁に提供されていたという。桑折座は明治39年に再組織され、それ以降の帳簿が残されているため、興行の日時が分かるし、地方小都市の興行の状況を知ることが出来る。その資料的価値は高い。
「桑折町史」に収録されているのは「明治四十年二月桑折座組合契約書」をはじめ「明治三十九年度桑折座組合記録」「明治三十九年度桑折座貸与記録」「大正九年度桑折座貸与記録」などで、これらの記録によって、当時の興行演目、日付、建元、賃料などが判明する。「明治三十九年度桑折座貸与記録」には最古の映画関係記述がある。
〔四月九日
一、 金参円五拾銭 半沢ツネ 建元
活動写真 四月八日・九日約定ノ処、八日不入、九日分一日座料 后年度ニ附替ニ附取消〕
また「大正九年度桑折座貸与記録」には、特に映画興行の諸記録が収められている。
〔大正九年六月廿弐日 廿日、廿一ノ両日、松本訓導(注。殉職もの映画)
一、金拾五円也   活動写真座料
大正九年七月五日 七月二日〆四日まで、中一日丸札、
一、金弐拾円也  二日分座料、不入ニツキ割引 多賀之丈、八百蔵一行
大正九年七月拾日  七月四日・五日両日、国勢調査活動写真
一、金弐拾円也  座量
小計金五拾五円也 大正九年七月十二日、角田会計殿渡シ
大正九年七月廿壱日 七月十九日・廿日両日、堀一派活動 一日拾円ノ定メナリシガ不入ノタメ一日マケ
大正九年八月六日 六日、東京日々新聞社活動写真
一、金拾五円也 小計金弐拾五円也 大正九年八月三十日相渡
大正九年九月七日
一、金弐拾円也  弘法屋建元活動、五日・六日二夜座料
大正九年九月拾四日  九日・十日・十一日・十二日・十三日・五日間、新派清水正夫
一、 金参拾五円也  一派三日間、不入ニ付割引 小計金五拾五円也 大正九年九月拾四日相渡
大正九年九月廿弐日  十九日・廿・廿一日、三日間  日米巡業活動写真、座料
大正九年九月三十日  二十六日・七・八・九ノ四日間、横浜連鎖劇、不入及株札百枚配リニ付、割引
一、金弐拾五円
大正九年拾月八日  二日より四日間、引続キノ興行ノタメ値引建元川俣引地 小計金八拾八円也 大正九年拾月拾弐日相済
大正九年拾月廿六日 廿四日・廿五日、二日間
一、金弐拾五円  軍人分会建元、尼港活動
大正九年十一月弐日
一、金拾弐円也  十月三十日・十一月一日、二日間 浪花節壱行
十一月二日  十月三十一日・十一月一日、二日間
一、金弐円也  富岡活動壱行
大正九年十一月拾弐日 九・十・十一日、三日間
一、金弐拾五円  大阪芝居壱行、不入値引
小計金七拾弐円也 大正九年十一月廿七日相済
大正九年十一月廿日  昼夜二回、
一、金拾弐円也  飯坂新升屋建元、明治神宮活動
大正九年十一月三十日 三日間、稚男浪花節一行
一、金拾八円也  大正拾年参月五日 相済
大正拾年参月八日
一、金参拾七円也 三月三日ヨリ四日間、浪花節連鎖劇新派
一、 金弐拾円也 三月拾八・九日、弐日間、活動写真 小計金五拾七円也 大正拾年四月廿壱日 相済
大正拾年五月七日
一、 金弐拾円也 軍人団劇、二日分座料
大正拾年五月七日
一、金弐拾円也  大阪活動 二日座料 小計金四拾七円也 大正拾年五月六日相済 通計金四百拾七円也
外ニ金拾五円也  弘法屋地代
金参円也   同 下肥代
合計金四百参拾円也
右之通ニ御座候也 組合長 半沢金兵印
大正十年六月十三日 会計角田三左衛門
「桑折座組合事務取扱帳」(桑折座文書四)〕(「桑折町史」より)
興行はしばしば不入りで値引き、割引をしていたことが分かる。
他の県下の劇場でも、このような営業活動が類推できる。

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