梁川町 広瀬座

広瀬座が終焉をむかえるころに、入場券のもぎりをしていたおばあちゃんのことを当時テレビのドキュメンタリーのような番組で見たが、その孫に当たる方が知人でいる。その方に、ダウンしたパソコンを直してもらった。直してもらいながら世間話をした。

その知人の親父さんという方は、無論、劇場の経営者の息子であったわけだが、当時では珍しいバイクにまたがって、福島県北地方を走り回っていたということだ。

何をしに走り回ったかというと、たとえば東映の大川橋蔵の新吾十番勝負の映画だとすると、他の映画劇場で何時ころに上映が終わるという予定があって、それが終わるころにフィルムを取りにいくという仕事をしていたというのである。

時には、梁川から40kmほども離れている本宮町の映画館にフィルムを受け取りに走ったそうである。

どこの映画館で何を上映して、それが何時に終わるのかというようなスケジュールから、自分の映画劇場の上映予定はもちろん近隣の町の劇場からも依頼されて、フィルムを受け取り、配達し、上映したというのである。

映画史の一端を垣間見たような気がした。

無論のこと舗装などしていない砂利道を、ほこりをもうもうと立てながら、映画フィルムが走るのである。

そのことこそが物語のように思えて、なぜか懐かしかった。

私が見た中村錦之助の森の石松。美空ひばりの佐渡情話。片岡知恵蔵などの往年のスター達も、このような方法で運ばれたのだろうと思うと、なにかがわかったような気がした。

http://blogs.yahoo.co.jp/toshikatu0214/21798345.html

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