丸森町筆甫

いま富岡と楢葉が、復興バブルで、臨時駅をJビレッジというサッカーセンターに、東京オリンピックの予備施設として政府とNHKが騒いでいる。
双葉病院から強制的に伊達に緊急移転されて死んだ高野國雄さんら、浜通りで311で無理やり動かされ、命を落とした多くの老人ほか、いまだに帰宅してない難民まで、馬鹿な原発さわぎで、福島県はみじめな結果をむかえたのに、人の住まない双葉地方も原町も、将来は夢のような水素ステーションだ、ドローンやロボットの開発基地になるといった、あさはかな夢ものがたりばかり地方新聞では印刷されて、それで喜んで自民党に投票するのですから、沖縄とどっこいの、度し難い地方民です。

それでも福島は、被災地という名前を冠されて補助金が出たが、そのとなりの丸森町など仙台の南端の伊具郡は、放射能が降ったが圏外のために無視されつづけている。
原発事故の直後に、小高原町からは非難のため人口がいなくなった。新潟、山形、群馬、栃木、茨城などの隣県に吸収されたが、一部が宮城県に避難し、伊具郡が最も近い。伊具高校に行けと言われて行った大型バスは、行ってみたら、宮城県知事が「伊具高校は四月からの新学期から使うので避難者を受け入れない」という返答だった。
そこで南相馬市は、丸森町との交渉で、もうひとつ山奥の筆甫という地区に、人口減で廃校になっている学校校舎があるので、そこに収容することになった。

筆甫には浪江町などの双葉から原町を経て、南相馬市民と一緒にバスで行方も知らされずに運び込まれた被災者が200人いた。
その夜から夜具と生活必需品と、排便の施設が緊急tあだし、公式のに設備されたが、炊き出しも運搬も給仕も医療的な手当ても治安も、すべてがこの筆甫という小さな過疎村民の負担するところとなった。
報道でくりかえしレポートされた隣県はまだよかったが、わたしは宮城県への避難の例をテレビで見たこともなければ、筆甫という地名を見たこともない。
丸森町は、この隣県からの避難者を受け入れることも支援することも当たり前のこととして行った。ただし、公式の「感謝」も「記録」も、見たことがない。
東日本大震災という巨大な出来事だから、すべてを記録はできないだろうが、知っていること、見たこと聞いたことは書き留めておきたい。

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