浪江町津島の記録を後世に

浪江町津島の記録を後世に

 元浪江議長の三瓶宝次さん(80)が6期24年で高齢引退し、津島の記録をまとめて欲しいと依頼されたので取材中だ。浪江町津島が帰還困難地区に指定されて福島市に避難した岸チヨさん(87)は、長安寺住職から勧められて満州開拓の自叙伝を書いたが、この春自費出版した。
 昭和17年に入植したが昭和20年9月5日にロシア軍の侵攻を眼前に日本軍が潰走し、父に命じられるまま服毒して母も姉も自決。父は妹も殺したが自分は生きて、ともに逃避行。やっと戦後帰国できて津島に開拓入植した。
 道路も電気もない荒れ地を裸一貫で開墾しやっと最近暮らせるようになったのに6年前の原発事故で再び家を追われた。
 国策で二度徒手空拳入植した。昭和と平成の二度も国に裏切られ、人生を奪われた。どこまで苦しめればよいのか。
 第二の故郷津島のすばらしさを語り、精一杯がんばって生きてきた。その津島の一人一人の庶民の底力と勝利をこそ記録したい。

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