リオ五輪で日系県人と逢ってきて

リオ五輪で日系県人と逢ってきて

南相馬市原町区生まれの渡辺孝は明治31年に相馬中学第一回卒業生で東京外語大でスペイン語を修め移民会社の通訳になった。
鉱山移民の過酷な実態を見て同情し、「政府から借りた渡航費用を返すより豚を飼って自作農になれ」と同朋を激励して奥地の県人を中心に歴訪し、サンパウロに逃げてきた若者に就職を斡旋した。それが百年前に彼が創立した在伯福島県人会の始まりだ。
世界各国・全国の県人会が311の実態と復興の姿を見に本県を訪問している。震災直後に澎湃と寄付金が世界中から県庁に寄せられたニュースは、どれほど我々を励ましたことだろう。
ブラジルで最も福島県人が集中して住むモジ・ダス・クルーゼス市の農協会館に彼を偲んで建立した銅像があり、歴代の県知事が訪問することで知られる。
サンパウロとリオデジャネイロの中間にモジは位置する。リオ五輪に殺到するだろう日本人に、異国で逞しく生きる日系同朋130万人の姿も見て欲しい。

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