はらのまち金融史 序論 

はらのまち金融史

原町商業銀行の謎

福島県史の人物伝は、紺野道悦について原町市史からの引用として略記しているが、かえってそのために、その内容は悲惨な過誤を呈している。

紺野道悦 原町銀行頭取 ①嘉永4年2月6日 ②大正8年2月12日 ③石神村長野 ⑥父は藩医、医学を学んで父の医業を継ぐ。明治22年から40年まで村会議員。その間、県会議員として活躍。明治35年原町銀行を創設して、頭取となり、地方の金融経済蚕業の発展に貢献したが、大正7年福相銀行と合併した。県史22p211

旧原町市史は、原町商業銀行が明治31年、原町銀行が33年に創業した、と記している。原町商業銀行が2年も早くできたとしている。それは違う。過誤の起源はここにある。
商業銀行は、門馬直記に対抗する人脈によって、あとから出来たのだ。
県史は紺野道悦が明治三十五年に株式会社原町銀行を創設した、と書いてもいる。紺野は石神村の議員や県会議員などをやったが、商業銀行の設立直後に急遽参加してすげかえられてトップ役員となった人物なのである。
県史の記述は、原町市史を丸写ししているだけなので、しかたがないが、その誤謬の責任は恥辱とともに残るだろう。

明治41年
この年、高平村、大田村、報徳信用販売組合等できえる(相馬市史年表)
この年、石神村の相馬冷蔵庫株式会社開業(相馬郷土誌)(相馬市史年表)

原町商業銀行誕生の真の理由

42.1.16.
◎原町商業銀行の由来
原町銀行との対抗
宛然たる選挙運動
去十日を以て開業したる原町商業銀行は資本金二十万円と称し同地方経済界の一問題となり居れるが既に原町銀行のある上に此の一金融機関が生るるに至りし由来を聞くに先年煙草が官営となりし当時原町銀行の頭取が煙草の見越買を試み不幸にして数万円の損失を招きしかば重役等も捨て置かれず同氏を退職させ門馬直記氏をして頭取たらしめ其の監理の下に手堅く営業する事となり且つ当時の支配人鈴木熊雄氏も或る事情の為め辞職したり然るに鈴木氏は地方生糸商機業家等と手広く融通し来りしに反し門馬現頭取は緊縮主義を採り是等の融通を中止せしかば生糸商や機業家連はハタと閉口し勢ひ別に金融機関を設くるの必要に迫られ平生門馬氏に快よからざる小資本家の賛同を得、紺野道悦氏の如き有力家も之れに参加し昨年十一月頃より新銀行設立の準備に着手し或地方の小銀行を買収して資本金を二十万円とし過般第一回の払込みを了しいよいよ開業の運ば(び)に至れる也勢ひ斯の如くなれば両銀行間の競争熱は火花も散る許りにして一方原町銀行は貸出しを中止して預金の取付に備へ一方商業銀行は預金者を吸集せんとして互ひに料理店等に引張り合ひ選挙競争当時に見るが如く御馳走政略を以て猛烈に運動し居れりと之が為め小高平等の銀行も意外の影響を蒙りつつある由なるが同地方の経済界は此の競争の為め如何の反動を生ずべきか刮目すべきと云ふべし

つまり、原町商業銀行は実は原町銀行の頭取の経済的失脚と、こののち幹部が意見をたがえて分裂して、後継の頭取門馬直記に対抗した勢力の人脈によって明治42年に創業したことがわかる。小銀行の名義を買って創業年数をさかのぼって明治30年としたのである。

明治42年1月16日
福島民報5000号記念広告
合名会社原町銀行 電略(ハ)
一月九日開業
株式会社原町商業銀行
銀行一般の業務を取扱申候

とある。原町商業銀行は明治42年1月9日に開業したのである。それ以前には地上には存在していない。

鈴木熊雄から紺野道悦へ

T3.5.23.福島日日
◎原町(商業)銀行の復活
相馬郡原町商業銀行は其専務取締役たる鈴木熊雄氏が同氏の個人経営に係る原町製糸所(二百人取)羽二重会社(機台七十個据付)の資本に投入したるに生糸及羽二重の暴落により遂に製糸所及機業会社共債権者に渡すの悲劇に陥り到底資金を銀行に回収の途なく合計二十余万円の欠陥を原町商業銀行に生じ茲に同銀行は営業停止の破目に陥り止むを得ず株主総会を開きて一株に対して五円ずつの払込をなすこと預金は五十円以下は本年中支払をなすこと百円以下は大正四年に於てすること五百円以上は五年賦となすことを決議し預金者に交渉せるに此場合に良法なき故何れも同意したるを以て頭取たる紺野道悦氏は鋭意整理に従事し此程より平常の如く営業開始せり

紺野は明治42年になって登場する人物。
これは、明治41年の約款と42年の約款の変更事項を比較すれば一目瞭然である。

明治41年12月21日更正  定款
株式会社 原町商業銀行
取締役 柴崎平蔵
右 仝 西 方治
右 仝 富田啓蔵
右 仝 鈴木熊雄
右 仝 田中善之助

明治42年5月5日更正 定款
株式会社原町商業銀行
取締役 紺野道悦(この部分のみ変更)
新株応募割当確定シタルトキハ取締役ハ二週間ヲ下ラザル期間ニ於テ引受人ニ対払込ノ通知ヲ為シ明治四拾二年六月参拾日迄ニ払込ノ事

生糸暴落による専務鈴木熊雄の失脚と降格、彼の個人企業「原町製糸工場」の売却によって、原町経済にとっては、その後の石川製糸の原町進出が準備された。

明治43年
第24期決算報告 株式会社 原町商業銀行
取締役頭取 紺野道悦
取締役 西方治
取締役 富田啓蔵
取締役 村井昌作
取締役 田中善助
取締役 鈴木熊雄
監査役 西忠雄
監査役 渡辺礼五郎

42年に誕生した原町商業銀行の営業報告が、すでに24期になっているのは、新聞にいうように、起源の古い銀行を買い取って会社実績の経歴としたからである。

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