予選の国ニッポン②

 メジャーリーグで成功するというのが、日本の野球プレーヤーのステイタスの頂点である。
 イチローは安倍晋三から「国民栄誉賞」をもらうことを避けて知るように見える。
 大蔵省がその権威ある名を失った「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」その他の不祥事つづきで財務省と名前を変えるほどの失墜をしでかした時、評判の店に連れてゆかれたイチロー選手は、キャップを目深にかぶって、恥にこらえていた。
 それよりも、イチローの活躍の下地を開拓した野茂のことである。
 日本の野球は、メジャーリーグに通用するのか試してみたいという純粋なレジェンドについてである。
 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがメジャーリーグへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後年明かしている[10]。wiki

野茂英雄氏の代理人が今明かす「MLB移籍への作戦A、B、C」
https://www.news-postseven.com/archives/20190422_1357266.html

イチローが集大成した日本野球を超えるという「日本野球の自己目的化の思想」の破壊の起爆剤となり、その発火点となった野茂茂雄こそは、日本野球史の革新者であった。 
彼が球団に縛られている女郎屋の花から、自由に野球をしたい、というアスリート精神の原点ゆえに苦しみ、マネージャーとともの探し当てた道こそが、メジャーへの移籍という開拓の選択だった。
 その後の日本プロ野球からNBLへの移籍という道を、誇らしくやすやすとなしとげた人々は、野茂の道の上をありがたく歩いたのであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E6%8C%91%E6%88%A6

 その野茂のはるか先の時代に、日本人メジャーリーガーは存在する。
村上雅則である。これは社会現象としてのMB移籍ではないが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%9B%85%E5%89%87

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