DVD見聞録

ナンネル・モーツアルト
2011年12月17日 20:35 ·
ナンネル・モーツアルト、天才の姉の半生を描いた。父レオポルドの音楽の薫陶をうけ、ウオルフガングと姉弟は、幼少から欧州を旅しながら王侯の宮殿で、その才能を誇示しつつ、成長してゆくが、父は息子の将来にこそ希望を託すが、ナンネルにも作曲への夢があった。しかし、女には芸術家の道は塞がっていた・・・・全編フランス語で通される

「ドリアン・グレイ」みたよ。原作の不気味な絵の雰囲気がよく出てた。英国ならではの、怪奇趣味。
「ゲーテの恋」ドイツ語。年老いてからもなお少女に恋したという彼の老年かと思いきや、まっとうな青春のロッテとの出会いと悲愁。やがて「若きウエルテルの悩み」に結実して、華やかなデビューをとげたという一巻のお話。
「モリエール」フランス語。英国のシェイクスピアに並び証されるフランスの喜劇作家。彼の生涯に数ヶ月の空白のある。それはこうだった、てな話。作品が残っているのだから、とうぜん逆算して、その原体験があったに違いないという発想で、ありえたフィクションをみごとに、あったかのごとく描いていて、それがまた説得力あり。
「サルトルとボーボワール」フランス語。有名な実存主義哲学の二人だが、彼らの契約結婚という実験的な男女関係を描くが、天才サルトルは、こないだ降板した大統領のサルコジみたいな男だ。対するボーボワー
ルは、大柄の女。巨木にとまった蝉みたいなサルトルは、けっきょく自由恋愛といいながら、女に結婚という枠で縛られない装置で一方的に縛っておいてハーレムを造り、「家族」と呼ぶ。いいかげん、サルトルには愛想をつかしたね。物語も、ボーボワール側からみた、彼女の伝記映画なのである。「第二の女」出版に至るまでの、哲学的遍歴は、サルトルの勝手な不倫に悩まされた人生だった。現在では、フランスは事実婚の社会になっているので、古い法律や戸籍といったものでがんじがらめに縛られて、過干渉によって社会秩序を保っている日本からみると、フランスは進みすぎた国に見えます。
「I’M HERE」というロボットものの短編。つまらなかったし、短すぎて、損した! と思った。英語。もっとも、また連休のキャンペーンで、一本50円だし。20本借りてきたけど、消化するのはしんどかった。
「ミラノ、その愛」はとうとう、途中で投げ出した。ミラノの富豪一族に嫁した女性の奔放な愛を描いた。ビスコンテイの貴族ものの「山猫」なども、あまりよくわからない僕には無理。イタリア語。

マイケル・ムーアの「アホで間抜けなきゃぴたりずむ」を、クリニックのベッドの上で見てたが、感きわまって、泣いた。世界一金持ちの国が、なぜ欧州と日本で戦後実現できた社会保険制度が出来ずに、貧しい者が家を奪われ、医療を受けられず、しいたげられるのか? 共和党のいう自由競争が、自己責任の名で金持ち第一の不公正を正当化している。こんな国に住みたくない。しかし自分の国だから、できることで闘う。世界一豊かで安全な日本にも、課題は多い。この国に住んでいたいから、できることで闘う。
資本主義ではなく、民主主義の真髄が、国を立て、国民を守る。彼はそういうのだ。アカデミー賞は、やっぱり妥当だった。

hiroshima mon amor
という映画を見た。「二十四時間の情事」という邦題で日本公開されたフランス日本合作。
戦後の新感覚シネマの一群の中の新人が、広島を舞台に、フランス女性が日本男性と出会ってゆきずりの情事をする。
その背景に、広島の原爆跡や、記念碑や、博物館などが、これでもかと写される。
社会的テーマなのかと思っていると、そうでもない。
男は女性の経歴に興味を持って聞き出すが、女はドイツ占領下の田舎町で、ドイツ兵と恋に落ち、終戦と同時に売国奴として髪を刈られて、地下室に閉じ込められた青春時代を回想する。
日本人の男は、岡田英二が演じる。
濡れ場で観客の目をひきつけて、広島の惨状を見せようというのか。
戦前にも、日独合作の「新しい土」というのがあった。こちらは、原節子が日本人女性役で、ドイツ人男性との結婚で、
日独の友好を象徴させるプロパガンダ映画だったから、宣伝された割には一過性の作品だった。
「情事」も、アンニュイな雰囲気はよく出しているが、あの当時(戦後)でなければ、もはや通じないだろう。
国際的な合作。特に日本と欧米との合作には、目的ばかりで、融合した名作というのは、あまりないような気がする。

germania anno zero みました。ロッセリーニ監督のイタリア映画。ベルリン陥落の二年​後に、同じ敗戦国の同監督が製作。1948年に公開された。日本では昭和27年すなわち1952 年に公開され、拙著「朝日座全記録」によれば、南相馬では翌年1月に朝日座で公開された。ぼくが生まれた年である。おそらく、そ​以後はVHSのビデオが登場するまでは個人でこれを見る機会は、東京の名画座以外では不可能であったろう。
戦後のイタリア映画界の気骨が作り上げたこの作品は「無防備都市」などの連作によって、アメリカに行っていたバーグマンをヨーロッパに引き戻し、ハリウッドを激怒させた。バーグマンは、不倫を​あえてしてロッセリーニ監督に従った。欧州に、矜持があった時代​の、薄っぺらな戦勝映画だけの米国映画より、まともな作品。当時の高校新聞に、評が載っていたはずだ。調べてみよう。
5月「モラン神父」。ジャン・ポール・ベルモント主演。日本未公開。2009年にようやく上映され、注目された。カトリック社会ではあるが、敬虔さと自由さを併せ持つ完璧な神父に出会ったレジスタンス活動家の女性が、ふと論争をふっかけるために偶然訪問した教会で、運命の彼に出会う。神学と、恋と、人生の綾とが、絶妙に描かれた名作。こんな作品が、なぜ、日本で公開されなかったのか。あ、そうか、フランスのカトリック文化がわかんねえもんなあ。

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