司法が守った山木屋の思い出 2014
司法が守った山木屋の思い出
「小学校のほとりの小川に、水芭蕉が咲いています。見に来ませんか」という葉書を、小学校の音楽の教師からもらったのが、川俣町山木屋を最初に訪問したきっかけだった。
一学年が一クラス。隣接する小学校から中学校まで、すべての子供が顔なじみで、卒業式謝恩会にも招待されて幼い顔まで知っている。思い出がビデオに残っている。
秋祭りには三匹獅子の踊りがあり、冬には田んぼを凍結させたスケートリンク、春先の新緑のみずみずしさ、夏の清流と水芭蕉。山木屋は桃源郷だった。
牧畜農家に川俣軍鶏の飼育に、修理技師にと子供たちは立派な勤労青年になった。
それが今老いた親と、幼い学齢期の子供への責任も加えて 自分の努力と異なる原因で問題に悩んでいる。
東電原発事故による山木屋の女性の自殺をめぐる裁判で、初の企業賠償責任を認める判決が出た。
それであの桃源郷が戻るわけではないが、美しい故郷の思い出が司法で守られたと思った。
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