矢吹とはらまちの空の絆

毎年3億円の経費赤字を出している福島県の福島飛行場は、平成4年にできたが、かつて、この近くに矢吹飛行場があった。むかしは宮内庁の猟場として、皇族のみの貴族的お遊びの場であった矢吹が原が、そもそも戦争がなければ、お遊びのままでよかったが、昭和の戦争時代に陸軍飛行学校が建設されたのは、浜通りの原町の雲雀が原とそっくりの経過をたどった。
原町の雲雀が原も、野馬追という牧歌的な祭りだけの牧野だったのが、陸軍飛行場の建設以後に、陸軍の飛行学校になった。
9月10日に矢吹町公民館が、歴史講座として、原町訪問ツアーをする。それでガイドを頼まれた。
ぼくが県南と呼ばれる地方の風土も風物も知らないように、彼等も浜通り地方について知らない。知らない同士のあいだで、表題のようなテーマで語らねばならないので、にわか勉強で矢吹飛行場の歴史について一夜漬けで情報を仕込んだ。
すると案外に、面白い関連も見えてきた。
とくにユニークさからいえば、この二つの町には、特攻隊の訓練基地があって、しかも終戦間際には、直接ここから特攻隊が出撃してゆくか、中継基地になった。
それを見送った乙女たちがおり、士官学校を卒業したばかりのイケメンやインテリや優秀で健康優良な男子が大挙して、これらの町にやってきた。そこで出来上がるロマンスは決まっている。
いまだに淡い恋情のままに、そろそろ乙女たちは鬼籍に入ってしまう時代になった。
原町飛行場関係戦没者慰霊祭というイベントが毎年行われてきたが、ことして終了するという。事務局を長く担当してきた八牧美喜子女史と言う俳人が、さくねん亡くなられたからだ。
10月10日が、最期の慰霊祭になるという。

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