文学派の原発災害理解

震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」
外岡秀俊 朝日新書 2012年2月
 作者は1953年北海道生まれのジャーナリスト。元朝日新聞社の社員。本書でとりあげている文学作品は、以下である。
カミュ ペスト
「外部からの「同情」や、かたちだけの「賞讃」の言葉は、隔離された人々の心に響かない。追放と別離のなかで、人間的な温かみをもぎとられた人々の孤立感の深みに、それは到達しないからだ。」(32ページ)
カフカ 城
「「城」を福島第一原発、目にみえない「掟」を「安全神話」と読み替えても、ほとんど違和感がない。」(60ページ)
島尾敏雄 出発は遂に訪れず
「私たちはまだ、敗戦・亡国の時代の延長を生きているのではないか」(73ページ)
ハーバート・ノーマン 忘れられた思想家――安藤昌益のこと
「あえて、希望を語る。あえて、東北の可能性を語る。大震災の悲惨に立ち向かう武器は、ビジョンを語る言葉において、ほかにはない、と思う。」(125ページ)
エドガール・モラン オルレアンのうわさ
「「対抗神話」は、噂という「神話」を崩壊させるが、その源泉や起源については放置し、病菌そのものを無意識下に潜らせてしまう」(146ページ)
井伏鱒二 黒い雨
「3・11以前に、フクシマがなぜ忘れ去られていたかを解明しない限り、フクシマは再び忘れ去られるに違いない。」(149ページ)「井伏は、あえてそうした設定にすることで、「黒い雨」の被害を受けて苦しむ多くの人々の姿を矢須子に重ね焼きし、重松もそれを受け入れたのではなかったか。」(182ページ)
ジョン・スタインベック 怒りの葡萄
「郷里を追われた人々は、まさに自然災害と人災の「複合被災」によって、旅立ちを余儀なくされたのである。」(211ページ)
宮沢賢治 雨ニモマケズ
「「無明」はまだ続く。いつまでも、苦難に我慢強く耐える「東北の思想」に甘えているわけにはいかないだろう。これまでのように、お上による「救済」を待つのではなく、民と民が互いを支えあう新たな仕組みを創出する以外に、将来の道はない、と思う。」(250ページ)
2011年7月に刊行された「現代思想 総特集 震災以後を生きるための50冊」と本書とを対比させるなら、カフカ、カミュ、井伏鱒二が共通してとりあげられている。
しかし井伏鱒二「黒い雨」のほかは、別の作品であり、カフカ「巣穴」、カミュ「シーシュポスの神話」、がとりあげられていた。

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