井上耀子先生 訂正版

原町体育館と井上耀子さん

 芸術の秋が来た。
 戦後の財政難原町の苦肉の策で、体育目的指定の体育館を建てた。三角屋根の建物は実際は町民公会堂として長期間機能し続けた。
 その最期の輝きは、十九年前の初の「第九」合唱の実現だった。四部合唱のうち男声が少なくて他町から応援を借りて、とうとう実現にこぎつけたのは指導者の井上耀子先生の尽力が大きかった。男性にも女性にも人気があった。
 双葉町の呉服店に生まれ音楽大学を出て原町を中心に高校で教鞭をとり、退職後も茶道華道を教えた。原町混声合唱の指揮者で原町にも「第九を歌う会」が出来た。十年前「ゆめハット」市民会館落成で第九再演し「文化的な一隅に灯を点じてきた。
 私は大學を出てすぐ地元の高校で職員室の隣の席が彼女だった。
 授業の合間に音楽について語り合ったのが良い思い出だ。訃報欄に名前を見て一瞬信じられなかった。
 ご実家の双葉町には同級生や親族も知人友人も多い。地元の花が散って無念だ。

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