女女、男男の組み合わせ人間 ケブラ・ネグスト
人と人が引き合うわけ p178
プラトンの「饗宴」という本の中で、喜劇作家アリストファネスは、なぜ特定の人間同士が引き合うのかを説明している。それによると、昔々の人間は頭二つ、手足それぞれ四本ずつだった。つまり、現在の人間二人が一人にくっついたもの、と考えればいいだろう。
この「二人人間」は非常に有能だった。そのため神々の権威を脅かしたのだという。神々としては安閑としていられない。いろいろと対策を講じた結果、人間を半分に割ることにした。当然大きな傷口ができるが、そのまわりの皮膚を寄せて真ん中で結んだのだそうだ。この結び目がへそになる。どうすれば内側から結べるのかは神々にしか分らない。
別れ別れになった人間たちは、切り離されたもとの相棒と抱き合って寝食を忘れ、ただひたすら嘆き悲しんだ。そのために神々への挑戦は忘れられ、天下は安泰となる。それ以来人間は、本来一体だったはずの相棒を見つけるまでは落ち着かないことになった。この相棒を探す作業が「恋」だ。
ギリシャ的に言えば、「二人人間」は、構成要素のバリエーションによって三種類あった。男ー男、男女、女女の組み合わせである。したがってゲイやレズビアンといった同性愛は、人間本来のみかたであることになる。
ところがユダヤ教は、この男男、女女という同姓の組み合わせに冷淡だ。セックスにはいろいろな側面があるが、旧約聖書ではもっぱら子孫を作るための機能が優先される。だからたとえ男女の間でも、その最重要機能に貢献しないセックスは神の怒りに触れかねない。
ユダヤ人国家イスラエルの国会で、一人の女性議員が」次に引用する詩を引用した。これは「サムエル記下」という旧約聖書の中の書物にある「弓の歌」と呼ばれるもの。
(ダビデとヨナタン)
知恵とは何か
目をさましたアダムは女がいるのに気がつく。ところでこの女というのはヘブライ語の「イッシヤー」で、人・男が「イーシュ」だから、それに女性系の語尾をつけたという説明になっている。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。
これが「創世記」を訳した共同訳のテキストだ。「ムスコ」「ムスメ」の関係ぐらいにはっきりしているように見える。
しかしこれはインチキだ。インチキという言い方がきつければ、民間語源によくある誤解である。男の方は「イ」と「シュ」しかないが、女の方は「イ」と「シャー」の間に「ン」が入っていた。それが「シャー」に飲み込まれてしおまったので、外見上「男」に似ただけだ。つまり男と女はまったく別の言葉だ。
これ以上に男女の関係を雄弁に物語るものはない。男女は何となく似ているが、よく考えると全然違う存在だ。P14
「親不孝の墓」では、アブロサムについて言及する。
「シバの女王の足は山羊の足」
エチオピアの王家の先祖はシバの女王 紀元13世紀にキリスト教を国教としたアクスム王朝は、エチオピア東部で、現在のエリトリアとの国境近くにあった。 「ヶブラ・ネグスト」(王たちの栄光)という本に記されている。