八沢浦干拓地が、明治のころの海に戻った三日間の幻
人間が作った景色が破壊されただけの自然の復旧
八沢浦干拓地が、明治のころの海に戻った三日間の幻
岐阜輪中で治水工事を手がけた経験から、相馬郡鹿島町の旧八沢浦を干拓したのは山田貞策翁。度重なる事故で犠牲者を出しながらも、この事業には宗教的信念が必要と信じて、当時小高教会の牧師だった杉山元治郎に依頼して日曜日に出張伝道してもらった。開拓入植者の小作人が、野良着で礼拝に出て讃美歌を歌った土地だった。仙台神学校長シュネーダー博士も応援に来た。
山田の死後浦全体を見渡す岡の上に、見守るように山田神社が建立された。しかしこの丘を神社ごと乗り越えて、3.11の大津波は村全部を飲み込み家を流し海へとすべてをさらっていった。僕がブラジルに二度一緒に行った西畑さん一家も、孫といっしょに死んでしまった。
いま平和な光景が戻ったものの、津波のあとの三日間は、明治まで入海だった八沢浦の、旧来の姿を神秘的に見せた。
人間の営為はすばらしい。しかし、自然はそれをこえてさらに偉大で神秘的である。
自然の復旧だったのだ。
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