みちのく真野球場にて
従妹の住む南相馬市鹿島区の津波跡地で、すさまじい話を聴いた。
町営野球場は新しい施設で、地元の津波災害の避難所になっていたため、多くの住民がここに逃げ込んだ。そこに大津波が襲って、スタンドまであふれた大波の渦に逃げ惑う住民が、洗濯機の中で揉まれかき回されるように、渦に飲み込まれてゆく阿鼻叫喚の様子を生存者が見下ろしたという壮絶な光景の目撃談だった。
右田地区は、わが先祖が明治期に富山から移住した相馬地方における発祥の原点である。海岸近くの広大な平面に水田の広がる農村だ。かろうじて逃げ延び、福島高校の体育館に避難し、いまは急造された仮設にいる。
見渡すかぎりの泥の海。瓦礫が山積みになった合間から、防潮堤のコンクリートが壊された場所から直接、海の怒涛が見える。かつてここには見事な松林が何10キロも続き、キャンプ場があり、すばらしい海洋センター施設があった。いまは何もない。ただ広がる、湿地。
誰もいない静寂の中で、雲雀が天高く囀っていた。まだ行方不明の人もある。その声が聞えるようだ。
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