昭和22年9月 原町教会青年会HHG誌に載った路傍伝道の感想文

路傍伝道に参加して 天野良子

九月六日 土晴

 大分朝晩寒くなって路傍伝道も人が誰も集まらないのではないかと思って心配でならない。ここに来るのも今晩で何度だらう。教会は私の生命の恩人でもあるのだが、その教会のために、今のところは献身らしい献身は何もしていないのも残念にも思ふけれども、前途はまだまだこれからだ。やがて自由の身となったら、ほんとうの意味の主のために働く事も出来よう。今晩はいつも地下足袋姿も主宰者の××さんが、お見えになられなかった。何かご都合がおありだったのかしら。先生達がお見えになられた。小さい無邪気な子供達が「キリスト来た」とさけんだのが、おかしくもあり、なつかしい言葉にも聞えた。折から電気が消えたので「凡て疲れたる者、重き荷を負へる者は我に来たれ、我汝らを息ません」との教会の行灯の光が、真っ暗な中に美しい光をはなった。いつ青いでもこの聖言には頭が下がる。

 心配したように集まる人が信者を除いてはごく僅かだったが、そんな事にはおかまいなく信者の方達歌をうたひ、証をしてくれて、うれしかった。道を通る人もひやかし気味に通ってゆく人もあるし、ちょっとのぞいて通り過ぎで行く人もある。知らんふりをして自分になんかそんな事何も関係ありませんよなんて云ってるふうに見向きもしないで行く人もあるし、色々だ。どうして聞いてくれないのだらうと思って悲しくなって来た。私が泣きついて一人一人呼び止めるわけにも行かないし、困った時ばっかり真剣にお祈りするようで神様には申し訳がないのだけれど、こんな時はもう神様の御力におすがりするより外にどうする事も出来ないのかも知れない。

 ××兄、壇の上に立って大きな声でさまよふ人々を歌ひ出した劇的な一場面だった。先生や証をして下さった兄弟二人の方には手を合わせたいような気持ちになった。私なんかはまだまだ学ばなければならない点はいっぱいある。

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