1947年9月24日、洗礼した雄幸さん 旭座が文化財になった根底にあった事情
試練の光栄 渡辺雄幸
九月二十四日、私はゆるされそして神の子とせられ 只喜びと感謝にみたされて新しき生命に歩み出した此の日を生涯忘れる事が出来ないであろう。
私はそれ以来常にペテロ前書四・12-14を拝読致して居ります
「愛する者よ 汝ら試みんとて来れる火の如き試練を異なる事として惜しまず反ってキリストの苦難にあずかればあづかる程喜べ、なんぢら彼の光栄のあらはれん時にも喜びたのしまん為也 もし汝らキリストの名のため謗られなは幸福なり 栄光の御雲すなはち神の御霊なんぢの上に留まり給へばなり」
クリスチャンの生活は苦難と試練の生活である けれども苦難より反って光栄が来るのだから悲観してはならない。
苦しみが天の御国の入り口であると ペテロは書かれました。本当に正しき者は今も相変わらず苦しみを受けて居ります けれども私達はクリスチャンです、世なのです。常に感謝し「我々に豪胆なる意志をあたへ凡てが十字架に従ひ迫害を充分担ひ得るものとして育て上げて下さい」と祈らずには居られません。
われらこそ十字架の つわものなれ
いかでか恥ずべきイエスの御名を(386番)
日本の、あるいは世界的に、プロテスタント・キリスト教には一般的伝統的な教会主導の教導中心の教派と、個人の信仰を何より尊ぶ福音派と呼ばれる教派との二大主流とに分かれる。
キリスト教の信仰箇条には「イエスは神であること、処女マリアから生まれたこと、死んで三日目によみがえったこと」という中心的な要素がある。それを信じなければ、クリスチャンではない。
ところが教会は道徳的にいい話をしてくれるところ、だから子供の教育に良い、という程度の認識でキリスト教会をとらえている日本人も多いのだが、教会にもいろいろな宗派がある。
原町教会というのは、実は明治に日本人中心の教団と、外国系ミッション系の教団の2つの教会が同じ年に別々にスタートした。大正時代にメソジストという一派が存在し、昭和初期にホーリーネス教派も存在した。これらすべてが、翼賛的な大合同を政府から促されて文部省主管の宗教組織「日本基督教団」に統合された。宗教も国家管理下に置いて敵国米英からの思想的影響を排除したいというもくろみだった。
束ねられて国家の認可を得たはずのキリスト教会のはずだった。
最も急進的だったのが、個人の信仰を頑なに守るホーリーネス教派だった。この教派が弾圧の狙い打ちにされた。
昭和17年の一斉検挙で、ホーリーネス牧師が収監され、17人が獄死した。
戦後の原町教会に赴任したのが、この教派の牧師夫妻だったことは、興味深いことである。
また、伝統芸能を尊ぶ気風の強く因習の深くしみついた相馬地方の若い青少年たちの一部が、この教派のキリスト教的世界観を教育されて育ったことは、面白い。
純粋な魂の若人に蒔かれた種が、どのように発芽し、どのように生育したかは、その実によって知れる。
風俗産業に籍をおく興行、映画館は、いまも風俗営業の分野にあり、環境衛生という行政の括りで管轄されるサービス業態である。
布川家は、芸妓置屋丸川という斡旋業者、兼興行者の家業である。地元の親分と呼ばれる任侠の世界に生きるアンダーグランド社会とも接点を持ち、中央の芸能資本との下請け関係のような配給会社との関係もある。
このような昔ながらの業態の映画館に、二代目、三代目に、いわゆるお堅い商売であったサラリーマンから転身した婿を迎えて、堅実・健全な経営によって、庶民的で文化的なラインをクリアーし続けたことが、芝居小屋兼映画館朝日座が存続し、90年も継続した鍵だった。