シスター佐々木美代子姉への手紙 2014.3.11
頌主
天地の創り主である父の御聖名をほめたたえます。
過日は、原町カトリック教会での御ミサで、お会いできて本当に嬉うございました。
長く故郷原町で、ブラジル移民の歴史を調べ、ブラジル現地で取材し、彼らの出身地と移住先を踏破し、人間の壮大な移動と神の視座から見るドラマを見せられた思いを、他人と共有して語り合う機会に恵まれぬことにさびしい思いをして参りましたが、数奇なる神の御はからいによりて美代子姉にめぐりあわせていただき感動でした。
レジストロに眠る高野留七の生家は、町の人が皆知っております「弁慶の一本松」と通称される天然記念物の一葉松という指定文化財のすぐ近くの農家のひとつですが、このあたりは3年前の大津波で洗い流されてしまって荒廃してしまいました。
笠戸丸の第一回応募に登録した馬喰(ばくろう)の人物が構成家族を満たすために説得して養子に入れて同伴させたのち、現地で別れてレジストロで医師に仕え、みずからもコロニア医療に生涯尽くしたようで、残った親類は北海道に移住し、医師になった者もあると生家で聞きました。
レジストロの記念碑を知らせてくれた上野信義さんは、私の生家の隣家で、駅前で自転車屋から転身し、昭和29年に(私の生まれた翌年に)養蚕移民でレジストロに入った。
1989年の二度目の訪伯取材のときにスザノ在住の上野信義夫妻に初めて面会した折に、夫人が語りますには、昭和28年3月21日に、私が産まれる時に、産婆さんから勧められて、女の出産というものを後学のために実見せよと言われて立ち合ったそうですが、
「あんたが生まれた時に、私は見たんだよ。あんたが産まれたあとで、後産といって胎盤というものが出てきたけど、そりゃあ蓮の花のように美しかったよ」という思い出話をしてくださいました。
異文化の南米ラテン文明に生きる同胞社会の魅力に取り付かれて夢中で、故郷だよりを県人会と同胞友人に送り続けることを生涯の仕事に選びましたのも、そのような天の配剤による思いもかけぬ珠玉の言葉に巡り合えたことも大きな体験のひとつでした。
3.11という人智を超えた艱難が3年過ぎようとしていますが、NPOのカリタス・ジャパンなど多くのボランテイア、義勇の働き人が南相馬に入って目覚しい神の業をされておられるのをみるにつけ、神は偉大なり、と賛嘆もし、謹んで人間の分限でその許しの中で神を賛美し、共に生きる幸いを楽しみ感謝します。
インターネットの原町ベースの活動で、スタッフの皆様ともいつも美代子様の働く姿を拝見しておりますが、ご健勝とご平安の祝福を祈っております! 在主
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