試す神 新ウイルス・コロナという名の試練の天使

沿革診療が南相馬市でスタートした。これは歴史的な医療革命だった。記録されるべき、人材をなぜ南相馬市が失ったのか。それは実につまらないことからだった。カミング・スーン。「FUKUSHIMA NOTE」に詳しく執筆中。藤井宏二医師が南相馬市に戻ってくる日」とでも、タイトルを決めておこうかな。

コロナ騒動は、むかしからあった人間の倫理と宗教のレベルでしか論じられない倫理的な議論でしか解決できない。大正8年のスペイン風邪がそうであり、中世における黒死病すなわち西欧におけるペスト菌がそうであり、東北福島の子どもや大人が関東でいじめられた原発被曝がそうであり、単に、柳美里が在日韓国人であることでいじめられた少女期における、日本人一般から受けた「排外主義」の迫害であり、平和な時代の日本人の故なき「優越意識」であり、故なき「ナルシズム」である。すなわち、ウイルスとは何の関係もない、問題の本質の周辺にウイルスが存在する。吉田邦吉氏の論考はいいところまで行っている。もうすこしで、完成するだろう。がんばれ。

奥さんの最初の新婚旅行で行った先が会津若松の桜の花見だった。ぼくとの旅行では、ぼくの行ってない北海道の道東だった。会津若松鶴ヶ城のお堀を歩いていて、五百円札の岩倉具視だった。史上最高額だった。交番には届けなかった。そこに交番がなかっらからだ。」底に会ったのは、土産物屋であった。そこでぼくは息子のちゃんばら用の白虎隊と印刷してある木刀を買った。まだ消費税というものがなかった時代で、五百円かきりだった。なぜ交番にとどけなかったのかと、問われれば、めんどうだったから。ぼくが五百円、土産物屋で使えば、ただちに土産物屋の所得になり、すぐに会津経済の血液になる。循環してこそ」「お金」である。警察の事務所の机の中で、」落とし主の届け出るのを待っているより、すぐに使ったほうがよかろうと僕は思った。息子も喜ぶし、会津経済圏も潤うからであるこれをウインウインと経済学擁護では読んでいる。会津の桜は美しかった。でもちょっと不振に思ったのは、」戊辰戦争で会津をこてんぱんに、流さなくてもいい」血を流せと叫びつづけた岩倉具視が、日本銀行券になっていることだった。彼は孝明天皇を毒殺したといわれる男であった。いまでは、もうお札はない。サラリーマンのワンコインの昼飯代にあたる硬貨一枚である。

安倍晋三について
テレビのブラウン管の外側に、プロンプターがいっぱいいる。喜界の字幕がある。そこに写された官僚の作文を読むだけの幼稚園児。この人に、自分の言葉なんかねえよ。無理~。

台湾について
あの国の基礎は、台湾に逃げ延びた国民党のキリスト教的寛容です。すなわちイエスさまの教えている、最も弱い者がもっとも強い。台湾人が「自由な精神」を持つが故に、台湾人が自由な民主主義的精神を持っているから」「真実にたどりつき」つまり「真理はあなたを自由にする」の逆である。それゆえ、未来を洞察でき、天才の出現によって30代の大臣にすべてをまかせる度量と、叡智によって、将来を見通せるビジョンを持てたからこそ、犀へ先へと先手をうてたから、ほかの神なき国々が遅れに遅れて死者を出したのに、台湾だけが死者感染者ゼロに到ったのである。ハレルヤ。これこそ神の知恵でなくて何であろう。イエスさまと聖霊に恵まれた台湾万歳。これは倫理と宗教の勝利であった、むかしからあった人間をめぐる一つの戦争の一つの出来事だった。神の目からはちいさな介入であり、神なき国と人間にとっては甚大な犠牲だ。
人権を重んずるキリスト教台湾のほうが、神なき中共よりましです。
それが証拠に、台湾は感染者ゼロになり、中共の発する発信はあてにならねえ。ネットも見れないし、強権弾圧駅にコロノを抑え込んでも、また見れるだろうし、本質的に金恩雲と同じような瀕すれば鈍す国だ。違うのは面積と財政規模の大小だけである。