菅野運転手も、じっとぼくの独断的な政治解説を聞いて居るうちに、自分でもしゃべりたいことがあるようであった。
それは大要、こんな内容であった。
吉田さん。
彼はなぜかぼくの名前を「吉田」と呼ぶ。たぶん、日本國の戸籍にそう印字されているのを知っているからだろう。
ぼくの二上という名前は、旧姓であって、家付き娘のダラシネヤ姫にとっては、辺境の原町という海岸端の田舎町で拾ってきた子猫のような男で、たまたま作家をしており、ペンネームで二上英朗という名前で地元紙の福島民報や福島民友や、ときどき東北ブロック紙の「河北新報」なんかに寄稿を帰港する奇矯な、郷土史家として知られる、いや、誰も知らない瘋癲老人である。
それでも昔は、ダラシネヤ姫には、日本風の普通の苗字姓名を持っていた。あまりにもっとい、遠い、銀河の果ての、過去には別な名前で呼ばれていた。スターウオーズみたいにね。
いまレイア姫として知られる俳優が演じているキャラクター、デビュー当時には、つまり1979年頃には、鮮烈なデビューの頃で、今から振り返っても、まさか、こんな壮大なギャラクシー・スターウオーズ・ストーリーになるなんて誰も予想できなかった。
さて、ここまでの8行は無視してくれていい。ぼくの饒舌のほとんどは、寄り道だから本論とは全く関係がない。
吉田さん。運転手の菅野さんは雄を鼓して語り始めた。
私の妻は、昨年死んだんですよ。
それは小西さんならわかるだろうが、野球でいえば、一回裏のホームゲームの、真っ白なユニホームで迎えた真剣勝負であったと思う。
あの」すりこぎ棒みたいな野球バットというゲームの道具の」一つを、真剣勝負の「真剣」にたとえるなんて、そりゃあ無茶苦茶な比喩だろうが、野球を人生や真剣勝負にたとえて評論を書いて発表する野球作家なんかにとっては、じっさいに「王貞治ものがたり」などでは、巨人軍の荒川」打撃コーチや、台湾二世のラーメン店の息子がスターダムにのしあがってゆくストーリーの絶頂期に筆が及んで、」ついに野球道をきわめようと、ヒト切り包丁の日本刀をどっかから借りて着たかして取り出してきて、まさに本物の真剣でバッテイングのスイングをし始める場面が出て来る。
少年サンデーか、少年マガジンで初めてこの物語を読まされたときに、ぼくは少年ながらにすっかり文筆の力に騙されて、感動さえしたのである。
それは、」のちにベースボールマガジンでも同じ筋で同じ内容だったから、」嘘ではなく実話だったのであろう。
それにしても、文芸のレトリック力のすごさを思い知らされて、ぼくは高校三年のころには、すっかり」法政大学の文学部日本文学科に進学することを心にk目t利他のだった。
ここまで9行無視してよし。脇道です。
菅野さんは言った。「ぼくの妻は、肺がんで、ちょうど今頃、ちょうど一年前に亡くなったんですよ。」
おいおい、送迎車は、誰が患者の独壇場と決めたのか。もうひとりの小西さんは、自分からは自分の事をほとんどしゃべらない。それで、僕はそれが当たり前だと思って、勝手にいつも小西さんをたった一人の孤独な聴衆に仕立て上げて、ぼくの勝手な講演会を一日おきのクリニックの往復に喋りまくってきたが、これはいかにも民主的ではない。人類みな平等。20分のヒマな時間さえ、患者も運転手も分け合って、分かち合うべきだと思った。
ここまで4行無視してください。脇道です。
それで、わたしは淋しい思いをしてますよ。