2009年11月30日に、我家に捨てられた子猫の兄妹。Pちゃんと、AZUKIちゃんと息子が命名。兄は、やや黄色の毛がまじっていて、ピーナッツみたいな色だから。妹は、顔が黒いし、全身は白いから小豆と命名。
妹はおてんばで、見たこともない大通りの表にあるごみステーションに毎朝ついて来て場所を覚えたらしく、日中ひとりでゴミ場をあさりに行って、見たこともない自動車のスピードにあっけに取られて猫の習性で立止まったまま、猛進してきた車のスピードを理解できないままに、あっさりとしなせてしまった。みんなぼくのせいだった。ちゃんと大通りの危険さをわかるように教えておくべきだった。車というものが、如何に危険な動物であるかを教えておくべきだった。車の猛進が猫のスピードをはるかに超え彼方に見えても、一瞬で自分を轢き殺す道具であることをも、わかるような状況をだんだんと、ゆっくりと教えておくべきだった。
この不可抗力は、実はアズキちゃんの不注意で起きた不慮の事故ではなく、捨てられてかわいそうだから赤ちゃん二匹を育てながら、何も知らない猫の視点で、人間社会が如何に危険に充ちているかをきちんと、かれらにわかるように教えるべきだったことを後悔し、今も涙がこぼれて反省する。
でも、アズキちゃんは、朝早くすっ飛んでいった。無理もなかった。みんなぼくに責任がある。アズキちゃん、ごめんな。謝ったって、君はもう死んでしまった。短い君とぼくの間に、深い神の英知と諭しがあったとしか考えられない。
神様、なぜこんなかわいい子たちをぼくの家の玄関に捨てさせたのですか。紙をうらんだこともあった。苦しかったよ。
でも、神は言外に、わたしの心からわきあがる神の知恵の言葉をみずからふつふつと湧きあがるのも感じた。
妻の視点から、息子の視点から、きちんと考えて行動せよ、と。
そうしないと、彼らが不幸になって、お前自身が苦しむ。
家族が危険に遭うまえから、いつも家族に危険がおよばぬように、予見し、備えよ。家族を悲しませるな。おまえ自身が悲しみ、苦しむことになるから。
妻と息子を空腹にさせるな。妻の料理に不平不満を言わずに、むしろ自分で作って彼らを養い食わせよ。自分の金をマツダのRX7の中古に200万円もかくれて契約するな。雨漏れのする台所の屋根を立派に修理せよ。原町市長選挙に出馬する、などと供託金300万円も準備して、原町にいられなくなるような記事ばかり月刊政経東北という政治経済雑誌に書くな。政治的に反対の勢力からうらまれて嫌われるだけで益なく、それ供託金を、屋根の修理にまわして、快適な中古住宅生活をせよ。そのとおりになった。

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