25日及び26日の二日間という長いイベントは、わたしにとっては苦しい程、体力を消耗した期間でした。このイベントのシリーズはすべて私の頭の中でのテーマですから、いわば無線塔のテーマも40年前の書き上げた本の責任をとるかたちで、出席いたしました。
残念ながら、世俗の人々は、こうした人集めの成功失敗は、テーマの実現ではなく、文化行政の実施であり、われわれ民間の団体は、単に公的補助金が出るから、役人がどう考え評価するかで決まります。
日曜日の午前は、何のイベントであろうと、日曜礼拝以上の価値あるイベントは何もなく、それでこれまで土曜日にやってきました。ちゃんと、そのことを周囲の友人にも説明してきたつもりでしたが、いつのまにか世俗の力が日曜の神聖さを蝕み、祈りのないイベントになってゆきます。
どれほどくだらない習慣であることか。

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