高村光太郎は、八月十五日の「玉音放送」を聴いて、「一億の号泣」と題する詩を成し「綸言ひとたび出でて一億号泣す」と敗戦の悲しみを記し留めたが、三年後の八月十五日付の書簡には、「あの時は一途の心から一億の号泣と書きましたが、其の後の国民の行動を見てゐますと、あの時涙をしんに流したものが果して一億の幾パーセントあったのか、甚だこれは小生の思い過ごしであったやうに感ぜられます」と、浮薄の人心の激変を嘆いた。
 光太郎は、「一億の号泣」の詩の結びに
  鋼鉄の武器を失へる時
  精神の武器おのづから大ならんとす
  真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
  必ずこの号泣を母体とあいてその形相を孕まん
と、敗れたりといえどもゆるがない日本文化の未来相への確信を書きしるしたが。

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