富岡町教育委員会三瓶秀文主任学芸員への手紙

富岡町委員会に電話を入れたのは数年前のこと。
「写真でつづる富岡町」という、写真を中心にした郷土史本を県立図書館で見つけたので眺めていたら、間違いだらけなので指摘するためであった。
富岡町は、双葉郡民すべてとともに福島原発事故で全域の住民が国からの退避命令で町外に逃げて、役所が丸ごと三春町に移設されたので、その移設役場の一部で業務をしていた。
このドサクサに郷土史の本というより、その内容に④磐城無線電信局」という項目の1㌻丸ごと、「原町無線塔六十年史フォト・ストーリー」という歴史的写真集から、主要な写真をそっくり無断転載して典拠引用を示さないで、こういう行為を一般には「盗用」というのである。著作権の侵害である。
しかも内容が間違っているという点で、まことにどうしようもない本なのだ。
その事実を電話で指摘しただけのことである。
翌日、あわてて教委職員らしき若い人から「どうもすみません」という要件の電話が折り返して掛かってきたが、担当の責任者の氏名についても善後策についても全く何も説明せず、私から抗議されたというクレームが入ったから、とりあえず「すみません」と謝っておこうという対応をしたものらしく、私の指摘が事実なのかどうかさえ確認してもいないらしい。
だからといって、富岡町教育委員会の責任で発行した本の内容を訂正するでもなく、とりあえず電話で謝ったのだから、うるさい奴でもひっこむだろうとでも考えたのだろう。
しかし、それでは何の対応にもなっていない。間違いなのかもわからず、調べもせずに、訂正もしないで、これでは無視と同様である。
クレームを受理したなら、上司に報告して、対応までを説明しないで、この誤った内容を世の中と後世に垂れ流し続けるのか。
④磐城無線電信局富岡受信所、という項目には一ページに6枚の写真が掲載されている。
(1)絵はがき「磐城無線電信局富岡受信所」(大正10年頃)
(2)絵はがき「磐城無線電信局原町送信所」(大正10年頃)
これらのキャプション自体が間違っている。基本的な知識と認識のない役場職員が、ぼーっと生きて役場の仕事をやっつけているから、地元の富岡町民をはじめ興味をもって本をひもとく読者に、間違った解説で誤情報を拡大して恬淡と「仕事をした」などと思っている。ふだんから役所の権威をふりかざしているから始末が悪い。
これに地元テレビ局などが、堂々と誤謬を広める結果となる。
(3)(4)(5)(6)の残りすべての写真は、すべて私の写真集からの盗用である。
(3)にはこうある。「富岡受信所全景(大正中頃)」
しかし、この「頃」というのが曲者だ。この「頃」には、私が意訳すれば、こういう構造がある。
(1)(2)にも「大正10年頃」とあるが、この文章の筆者は、基本的な沿革を知らないので、写真は何となく古いから、開局式のあった大正10年あたりだろうと判断しました。知らんけど」という大阪人のような適当な会話で、確実でないことの言い訳にしたいのだ。
しかも受信所は大正9年に完成し、大正10年に開所したから、(3)についてもどちらか判明しないので、なんとなく「10年頃」にしておけばいいだろうと考えたのであろう。なぜこんなことになるのか。磐城無線局は、開局式が二度あるからだ。
もともと磐城無線電信局というのは、政府逓信省が直轄で大正10年に建設した施設である。技術的な日進月歩の発達で、技術革新に対応するために、世界水準に即応するのに、役所仕事では間に合わず、膨大な資金力も必要となり民営化されたのが大正14年。新しい機械との交換、新しいアンテナ施設と、これに要するタワーの新設が完成したのが昭和3年のことである。これを民間の日本無線株式会社が改修工事の完成開局式を同年4月に行った。
逓信省の無線士も技師も、古い世代の職員は、国の「お役人」でありつづけたい事務官は残り、土木や機械工など現業の現場技術職員たちは馘首され、若い世代が新世代の知識と技術を身に着けて次々に新会社に登用されていった。
磐城無線局は、開局から10年で廃業された。文明の革新は、人材の消耗の場でもあった。