財務大臣大久保長英は、のちに勘定方の幕閣に。かつまあ現在の内閣にあたる老中になった。
勘定方というのが、つまり瀑布にとっては、家康政権の徳川内閣の財務大臣に相当する。
しかし、財務大臣といっても、いまの麻生さんのように感じの読めない大臣ということではなく、国の収入のほとんどを一人で金銀行政のトップとして働いたという、実質的なドル箱をみずからが生み出した功労者であった。

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