マルタとマリアとラザロの家

我が家で最も豊かで、ブドウの木のように父と子と聖霊によって満たされ、祝福されている実感こそ、健康なときよりも、病室にある時の方がより実感されるので。このキリスト体験のほかに、この人生のパラドックスは、ついぞ人間には知りえないことを、イエスさまだけが私達に教えてくださる。彼が、今も、未来も、永遠にわたしたちと生きている証拠なのに、「死んだら終わりと死ぬのが怖い」といって、健康な自分たちが病気のあんたより幸せと言って毎日のように女子会、ランチ会スケジュールで遊びまわる妻も、やっとアルバイトで自分のお金を35歳になって働く喜びを知った自信を持った息子を慶びますが「おやじ、いつ死ぬのか。まもなくか」と平気でわたしに言い放つ、おろかな妻と息子は、肉親と再婚相手が、どんな人間であったのか、私が死んでから、初めてわかるのか。わからないで、そのまま彼等も虚無の闇の中へ落ちるのか。日曜礼拝で、もっとも私が祈ったのは、神への感謝と、家族たちのとりなしの祈りでした。愛する姉妹である日登美さんの共感と敬意とともなる信仰ゆえに、おふたりと一緒のときが、わたしのほんとうの魂の家庭です。イエスさまのいる家です。