マザーテレサからの手紙 感想

マザーテレサからの手紙
2015米 
ヴァチカンがマザーテレサを列福から列聖に至る審査委員会の調査を映画化したマザーの半生記。マザーは、マケドニアに生まれ、少女期に列車の中で神の声を聴いたというエピソードが有名だが、インドのカルカッタで最も貧しい者たちに寄り添って尽くせ、という使命を聴く。修道会のおきての中で、上流階級のインド人クリスチャンの子弟の教育者として働くが、市井にあふれる貧者にショックを受け、誰にも愛されず最貧の階級のために、最後の瞬間だけは神に愛されて息をひきとる「死を待つ人々の家」を立ち上げる。道路で死ぬものがあたりまえのようにあふれているカルカッタ。ヒンズー教徒から排斥される様子が、子供たちへの識字を奉仕して地域社会に入ってゆき、お産に寄り添って力づけたことで、最も忌み嫌っていた親族が、心からの感謝でマザーの真の愛情に敬意をあらわす場面は心打たれる。
マザーは、心血注いで産婦に付き添った労働の疲労困憊で、へとへとの姿で帰宅するのだが、それを追いかけて今までマザーを激しく排斥していた自分を振り返って恥じ入り、敬仰する男の姿は神々しい。
しかし精神的指導者の神父に、マザーは自分の心の闇について悩みを告白する手紙を送っており、この手紙を根拠に「マザーは聖人ではなかった」という論考が本にされたりして、カトリック世界で喧伝されていた。列福から列聖にかけての経緯をたどってバチカンの評価をていねいに追ってゆくのが中心に、マザーの伝記の側面が描かれてゆく。
千葉茂樹監督が女子パウロ会から「マザーテレサとその世界」というすぐれたドキュメンタリー映画を製作しており、千葉の故郷の福島市で何度か上映されている。講演と上映の会で、フクシマテルサでんたびゅーしたことがある。2004年4月郷の政経東北に記事を載せた。生前のドキュメンタリーは3本見たが、そのうちの一本。さらにマザー生誕100年を記念する「母なることの由来」も千葉監督が制作している。日本キリスト教団原町教会の主催でクリスマス映画界として朝日座で上映された。
マザーの来日では仙台で講演した時には、カトリック原町教会の有志が、これを聴いている。わたしは教会のビデオで拝見した。
世界的な9億人のカトリックに限らず、その影響は東西文明や、南北問題など、彼女の存在は地球的だ。
マザーの心の闇については、もっとも活躍していたインドのスラムで、貧者に寄り添うことを神の意志を体現すると信じてはいても、実行してゆくうえで押し寄せる絶望的な孤独のあまり、自分の中には神がいないのではないかという疑問。あまりに」激しすぎる神を求める情熱が、むしろ彼女を苦しめていたのだ。
心の闇をつづった手紙とは、まさにゲッセマネの祈りに匹敵する人間であり聖人であることのキリスト・イエスのお苦しみをなぞった証である、というのが審査の結論だったようである。万人の聖人に対する神聖視が、パラドックスとして描かれた人間くさい一生と、それを審査するバチカンの聖職者たちの動きの、考えさせられる映画だった。