スーパーひたちの移動解体と常磐線

スーパーひたちの移動解体

 原ノ町駅構内に311以後ずっと停車していたスーパーひたちの移動解体された。東京一極集中の状況下で首都との絆が途切れた象徴だった。
 常磐線に特急ひたちが就航した昭和47年10月2日の上野発の始発に乗った。大学進学でも帰省でも、ひたちは私の青春のアルバムとともに存在した。
 常磐線は明治31年に全線が開通して118年になるが前年まで原ノ町と久の浜との両駅間が未開通で、若き幸田露伴が人力車で北上して旅行記に記録している。奇しくも震災と原発事故とで断線した区間が、酷似する。
 露伴は小高の事業家半谷清寿に逢いに来た。半谷は常磐線の開通で不当な土地買い上げにに抗して農民の権利を主張したために暴徒に襲われたり冤罪で投獄されたが、浜通り選出の代議士となって東北大凶作では「東北減租論」を訴えるなど、つねに故郷の声を叫び続けたが、栄誉を求めず富岡夜の森に、同志の肥料商但野芳蔵と共同で土地を購入して理想の入植地を開発し、桜並木を植えた。
 いわき以北の常磐線は、首都圏には知られない百年ロマンの宝庫でもある。
 苛酷な複合災害で苦しむ浜通りだが、原発は半世紀で廃炉の運命に直面した。半谷と但野の故郷愛は百年たっても見事な桜並木を遺した。