昭和10年民報
1.19.
10.5.9.釜戸の奴祭 全世界に紹介 パラマウント、フォックス社などの映画班出張撮影
10.7.12.シネマ週報 栄館で金環食、天一坊と伊賀亮、嬉しい頃、東洋の母、鯉名の銀平、松竹ニュース、大学の若旦那。福島劇場で剣鬼の三人旅、嫁ヶ淵、桂小五郎。大福座で暁の復讐、怪腕火花を散らして、名馬黒旋風、定九郎破れ笠。福島座で多情仏心、東京港祭り、剣雲薩摩歌。
10.7.22.相馬農蚕校国防映画会 現役将校配属教練実施十周年記念、22日新開座で「漫画」「北進日本」「北満の落花」「日本郷十舞踊第二編」オールトーキー、会費二十銭。
10.7.29.錦村に常設興行館 まだ一つの娯楽機関もなく不便を感じていたがこのほど山崎登氏から県に常設興行館設置を出願してきたので二十六日付で認可になった
10.8.23.大谷日出夫、白河の親戚へ避暑
10.9.4.栄館いよいよ更正「福島松竹館」として五日開館 七月以来休館を続けファンから忘れられ様としていた栄館は、山田勘左衛門氏が事を引き前営業主任生田氏が経営にあたる
1012.21. 日本映画四十年の来歴(一)検閲
1012.22. 日本映画四十年の来歴(二)団十郎菊五郎の紅葉狩りの撮影 Mパテー商会の活躍
10.2.24.郡山市長トーキー吹込 東洋キネマ撮影所のトーキー一巻に「躍進の郡山」と題して郡山の沿革地勢、人口その他郡山市一般の情勢を吹き込み躍進の郡山市を広く天下に紹介することになった
10.12.27.トーキーが語る飯坂湯野温泉
10.12.25.日本映画四十年の来歴(三)タイアップの発生と宗教映画の進出 業界に理想主義の実現
10.12.27.日本映画四十年の来歴(四)旧劇の開拓者 目玉の松ちゃん 天然色映画の渡来
10.12.31.福陽映画界 新春の陣容 各館豪華版勢揃ひ 上映されたヒットを回顧する
「モナリザの失踪」「会議は踊る、モンブランの王者、或る夜の出来事、ベンガルの鑓騎兵、家なき児、黒騎士、乙女の湖、空中レビュー時代、ボレロ、クレオパトラ、外人部隊、未完成交響楽、トト、商船シナシチー、肉弾鬼中隊、怪人マゼブ博士
邦画 或る夜の女、恋愛修学旅行、生きとし生けるもの、雪之丞変化、浮草物語、気まぐれ□者、裏街の交響楽、富士の白雪、関の弥太ッペ、ネズミ小僧次郎吉、箱入娘
洋画の方に人気を浚われがちであった

この年、子供に映画を禁止すべきか 親が選択して同伴せよ、との結論。筆者は検閲官
この年、伊藤公遭難のフィルム発見

昭和10年
夕刊磐城時報 12.11. 12.12. 12.24.
夕刊新いわき12.11.  12.24.
磐城新聞12.11. 12.24.
常磐毎日新聞12.24.

昭和11年

昭和11年 民友(3~6,8~10月なし)
1.8.選粛の先駆 三班に分れて映画と講演会
1.8.原県議の映画近く完成「拓き行く道」を15日みどり座で開催
1.8.三六年度の新星 福島座 翠の地平線トーキー 福島劇場  急行列車トーキー 大福座 狂乱雪女郎 松竹館 喇叭は響く
1.9.熱海温泉をトーキーに
1.15.  三六年度の新星2 1.22.  三六年度の新星
1.30.映画らん 1.30.夕 雪の丞変化日延べ 2.2.まで松竹
7.2.映画らん 7.14.映画らん
7.23.映画らん 7.31.粛選の活動 二本松
11.10. スキー宣伝映画会 21日福電で12.1.も

12.9.若松郵便局でトーキー映画会 「暮から正月へ」大和館、会津館、栄楽座で八日
12.17.植田産婆会活動写真会23日菊田座「国難を叫ぶ日蓮」12巻
12.23.坂下栄楽座のゆかしい催し 亡き館主を忍び追善供養
12.31. 豪華正月の興行


1.5.五月信子、新開座に
1.9.民報 熱海温泉をトーキーに
トーキー映画の吹き込み撮影を了した

1.9.原県議の映画近く完成「拓き行く道」を十五日みどり座で開催
1.10.三六年度の新星 福島座 翠の地平線トーキー 福島激情急行列車トーキー 大福座 狂乱雪女郎松竹館 喇叭は響く
1.15.三六年度の新星2
1.22.三六年度の新星
2.3.中村座で映画会 相馬高等女学校30周年 5月1日午後六時から事業費の一部のため
5.8.民報 福島座「宝島」「拾った貞操」、松竹館「黒い瞳」「タムタム姫」「陽気な連中」「大江戸出世小唄」「お小夜恋姿」「山は夕焼」「東海の顔役」、福島劇場「三連花」「賭け剣術」「元禄村雨笠」、大福座「三度笠なげ節道中」「串差おでん」「切支丹魔伏隼人」「無名の怪人」。
6.13.p十六ミリで覗く農繁託児所風景 写真
6.15.p脅迫状

7.2.映画欄 7.14.映画欄
11.10.スキー宣伝映画
12.9.若松郵便局でトーキー映画会
11.12.23.友 亡き館主を忍び追善供養 坂下栄楽館のゆかしい催し
河沼郡坂下町栄楽館長谷川、加藤の両氏は同館が未だ降(註。柳の間違い)盛館と称した当時の館主中島甫次郎氏が逝去して丁度七年忌に当る処から故人の嗣子甫吉市とともに二十四日から六日間名残深い同館でその追善興行することになり前売券の発売やら招待の発送に忙殺されているが堂町近来の盛会を見るであらうと今より可成りな前人気を呼んでいる
12.31.豪華正月の興行

12.24.民報宮城版
興行界の美談
坂下町の活動常設「柳盛館」を引受けた若松市栄町興業師長谷川次郎吉氏(六○)は栄楽館と改めて華々しく開演しているが数代に渡る前経営者が何れも失敗して困窮の立場に在るのに同情し第一回は蓮沼忠五郎氏の為め第二回は加藤勘次郎氏の為め第三回は川島新三郎氏等のためそれぞれ特別興業を連続的に行ひ其収益を全部贈与して師走の興業界に珍らしい美談を提供している

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