大正時代の映画状況

大正元年

6月、福島座で横田商会活動写真会一行は旧劇「忠臣蔵」泰西悲劇「愛と情」を映写したが、「空中大戦争」が電気の故障で失敗。「日蓮上人御一代」「紅葉狩」を加え、空中戦争は二日目より上映し直した。
7月、改築中の新町開明社側の倶楽部では浪花節をやっていた。これがのちに大正館となる。
8月、福島座で東京エムパテー株式会社東北巡業第一舞台を開演中、明治帝崩御のため謹慎休会。倶楽部では活動写真「御大葬の雑踏」及び「乃木大将葬儀の光景」「鯨取り」を上映。好評だった。
9月、福島座に大正活動写真会が乗り込んで五日間興行。席料は一等二十五銭、二等二十銭、三等十銭、小学生七銭、中銭無。「先帝御大喪前後の光景」「乃木大将葬儀の実況」の外、映写種目は▲日本悲劇己が罪、藤沢木下外一座出演▲西洋実写ラックス登山▲西洋実写自動車大競争▲泰西悲劇トンニーのクリスマス▲泰西正劇復讐▲西洋喜劇侍ボケ▲日本八景筑前名所▲日本悲劇登り鯉▲日本喜劇間抜け泥棒▲西洋実写仏国騎兵練習▲西洋喜劇リーの就職▲西洋喜劇悪口悪眼▲日本喜劇里見八犬伝▲西洋喜劇飛行機の友づれ。主任弁士中野花笑。
11月、二本松双松座で活動写真応用の変わり狂言「春賀寿美」中の荒川中の格闘の場面が手に汗を握らせて評判を呼んだ。すでにアクション場面が上映されていた。

大正2年

【この年の県下の映画ニュース】
大正2年に、松川座が開館。
福島座、新開座、大正館とも芝居や義太夫が中心の演芸娯楽を上演していたが、時折活動写真の興行もやっていた。
5月、南極探検の活動写真が郡山、会津若松、福島で上映され評判を呼んだ。既に記したとおり。
大正2年の相馬野馬追は7月14日に行われた。有栖川宮(猪苗代の天鏡閣の持主)が薨去したことがあって歌舞音曲が禁止となり、恒例の11日からの祭典執行は14日からと延期になったのだ。野馬追祭に、活動写真の見世物が出た、という新聞記事がある
〔新町に設けられたる活動写真は絶えず勇壮なる音楽を奏でて観客の吸収に忙はしく〕
と17日の新聞に記事がある。不況にかかわらず野馬追は地域の活気の渦の中心だった。現在の本町が、旧来の宿場町であり、新町というのは幕末まで町の南端だった四葉の辻から南側。明治になって以降に出来た町並みである。
野馬追の祭に立った露店に交じって、テント小屋の芝居や活動写真があったことも、前述のトリさんは覚えている。
大正天皇が東宮(皇太子)だった明治41年に野馬追を台覧に来訪した時、トリさんは雲雀ヶ原に続く新町の沿道に並ばされ日の丸の小旗を振って歓迎したことを覚えている。「人力車に乗ってやってきたの。顔の細い人だったよ」と、昨日のことのようにトリさんは語っていた。
7月14日の相馬地方は梅雨が明けたばかりの蒸し暑い季節で、草いきれまで伝わってくる。四葉の辻には昔、野馬木戸というのがあって名物の雲雀ヶ原の入口であったから、幕末の名残のにおいのする場所にテントが張られ、ぶんちゃかぶんちゃか楽団がせわしなく客を呼び込んでいる光景が目に浮かんでくる。
しかし、このほかに目立った映画上映の話題はない。

大正3年

3月、天活(天然色活動写真株式会社)が誕生。帝国キネマ(帝キネ)も発足。こちらは大正8年に国活に合併されるまで月産17本と大量生産した。帝キネはそれだけ庶民的で、地方受けした。歌川八重子が看板スターだった。松竹の栗島すみ子が当時のトップアイドルだったが、地方では歌川八重子のほうが銀幕に多く登場した。
【この年の県下の映画ニュース】
1月、福島座では新派劇、2月、飯坂旭座で芝居、福島座で狂言。
1月、本宮座が起工される。
4月、新開座は一月中新開座に開演した日活会社特約W活動写真商会はの西悲劇女浪男浪、乳姉妹、弁士に大島紫水。また東京尾崎商店新日英活動写真会を開演。
5月、「おいらん道中」は風紀淫乱を理由に上映禁止。
8月、大正座でマニラ活動会社の主任弁士中山義範、泰西悲劇恋の夢、正劇少女のお手柄、斥候の工夫、砂金取の娘、大活劇三国同盟戦争たん、軍事余聞「恩と仇」喜劇生命の替玉。
12月福島座で暫く興行しなかった活動写真新作を上映。木戸銭は下足共大人十一銭小人六銭。
福島日日新聞大正3年12月11日。
「●小高町空前の賑」
〔在旧十月十四日の市日を七日に繰上げ「小高の秋市」として年々行ふ
▼其他の興行物 として小高座に新派劇
停車場前に小屋掛して開演すべく其他活動天国と地獄など大評判なり〕
「天国と地獄」は狂騒的なメロデイで有名なオッフェンバッハの名曲歌劇である。無声映画時代のバック・グラウンド・ミュージックとして「美しき天然」と並んで常用されたジンタの定番でもある。小高座でも呼び込みの楽隊が演奏したことだろう。前年の原町の野馬追の時の「絶えず勇壮なる音楽を奏でて」という表現にぴったりの曲だ。大正初期の映画会社の一つで東京市外の高田馬場の戸山が原近くに仮スタジオを建ててドサ廻りの安直映画を生産した小松商会というのがあった。これはもっぱら縁日やモノ日を当て込んで地方巡りの天幕興行に歩く巡回興行者小松屋こと斎藤幸太郎が、たまたま古い外国フィルムを手に入れたことから映画製作をはじめたもので、脚本兼監督に田村宇一郎、カメラに杉山大吉をあたらせ同商会直営の浅草館が開業した大正2年頃から彼らの映画が公開された。大正4年には原町の南隣の鹿島町の鹿島座の広告に小松商会の名前が見えることから、大正3年といえばたぶん同商会の古い外国フィルムの一本であろう。大正2、3、4年と同じ相馬地方を巡回したのは地方廻りで一般的な興行者の順路である。地方の縄張りは同じ親分と面の通じたほうがやり易い。当時の外国映画は舞台俳優が大げさな衣装で演ずるものばかりだったので、素朴な田舎の祭に上映するにはふさわしい見世物であった。
小高座は芝居小屋で、毎年夏の野馬追祭の時に賑わう小高神社の入口にある。野馬追祭や秋市に賑わった。
大正3年には会津の老舗栄楽座が日活直営館として開業。福島座が改築落成。活動常設館として再出発した。また瀟洒なファサードをもつ本宮座が落成した。
しかし、これらは都市部でのこと。多くの郡部での活動写真はテント張りの仮設小屋で興行された。全国の農村で同じような光景がみられたのである。

大正4年

【この年の県下の映画ニュース】
大正4年には、1月大正舘が活動の常設館となる。ユニバーサルの看板を掲げた写真が福島市史など写真集に見えるのは、この時のものだろう。桑折座開場以来の不景気。
2月、白河劇場が落成する。巨大な建物で東北一と自慢した。
3月、大正舘で新派喜劇12巻「飛行家の妻上下」上映。
5月、福島市新開座で同時発声映画公開。また会津でも日本キネトフォン社の鑞管式レコードに連動した方式による最初期のトーキーが公開された。
新開座では「泰西正劇かたみのヴァイオリン」「禁酒の誓ひ」「歌劇スペインの花園」「泰西喜劇思ひ違ひ」「同大間違ひ」「歌劇セーヌクシャ」や日本ものでは「本朝二十四孝」「お伽羅先代萩」などは朝重素雪の発声出演あり。つまりレコードを鳴らして上映した。普通映画では「陸軍所沢大阪間の大飛行」ほか十数種のフィルムを上映。
7月、福島座で新派「死霊」、新派劇「浮き雲」「高田馬場」上映。大正館で新撰銘々伝。
8月、会津大和座で岩見重太郎一代記、若松館でホトトギス、清水次郎長、栄楽座でまぼろし、大正の七変人など上映。8月福島座で新派「金貨」、大正館で旧劇「狐騒動」「絶海」「薄馬鹿大将」、郡盛館で新派「五重塔」旧劇「佐倉義民伝」、平有声座が増築。西洋探偵劇「刑事ペリー」、人情劇「甥の財産」上映。大正館「虎組」。新開座「女心」、大正館「国定忠治」。
9月、川俣座が改築開館。藤田座開館、月館に清月館が落成開館。若松座改築。大正館旧劇「宮本武蔵」西洋「大衝突」。平町有声座で「浮き雲」上映。都一座に引き幕贈る。
10月、大正館「水戸黄門」日活「父なき子」「文福茶釜」「マリンカ」「里見八犬伝」、福島座「羽衣長次」「オデッセイ」上映。大正館は日活直営から北条定吉へ独立。11月大正館で尾上の「四谷怪談」上映。鹿島座は小松商会のフィルム導入。

大正5年

【この年の県下の映画ニュース】
大正5年には富岡座が開館。
1月、郡山の大正座は郡山唯一の活動写真館で競争の無理がないから何から何まで完備していると世評。有声座で泰西画「花吹雪」上映。大正館でポーリン探偵の最後と探偵ニッカーターの奮闘、アメリカン会社悲劇「燈火」原名「二十年の追懐」「隊長の令嬢」滑稽映画「メリピンプート太鼓」実写「シェリセー廻り」上映。新開座で泰西活弁「セブン」泰西実写「伊國旧市ローマ古跡の美観」上演。
2月、福島座「加賀騒動」。同2月には「義民彦内伝」その他滑稽魔術など数種が川俣座、掛田小学校、月館清月館、梁川、飯野などで上映。彦内とは福島地元の桑折の義民。「天狗回状」という小説にもなった農民指導者。映画で地元ヒーローを描くはしりだ。
3月1日から新開座が天活と契約して常設となる。木戸は大人一等十銭、二等五銭、小人一等五銭二等三銭。聚楽館「デブ夫婦」「玉突狂」実写「熊狩」悲劇「恋の炎」「有馬の猫騒動」。このころ御大典活動写真、各地を巡回上映。大正館で大礼活動写真。御大典活動写真の盛況で梁川広瀬座は入場2000人を超えた。
4月、福島座「ブラウン探偵」。飯坂旭座で930名のところへ対して無理に1580名の客数を入れ大騒動。
6月、大正館「大石蔵の助」。
7月、本宮座で「舞扇」「石川五右衛門」「自由の旗風」。福島新開座で「名金」「喜劇郵便配達トン君の失敗成功」「教育資料実写ボスニヤ国境の風景」「喜劇食後運動ダム君料理勘定」天活の苦心惨憺にかかる「深川奇談芸者の逢引」全四巻など。福島座で女優松井須磨子が「嘲笑」「復活」公演。大正館「新派悲劇姉妹」旧劇武勇伝「荒木又衛門」活劇「水戸黄門」滑稽「気晴らし」実写「江戸川」喜劇「奇々妙妙」。
8月、松川座で三周年記念活動写真大会。
「名金」は原題をThe Broken Coinといい、ユニバーサル社の有名な連続活劇。フランシス・フォード監督・主演。
チャップリンの「駆け落ち」は11月19日日本公開。

大正5年 「小公子」郡山で上映

大正5年に、いちはやく有名なバーネット原作「小公子」が郡山で上映されている。
大正5年7月10日の福島民報に、こんな記事がある。
〔既報したる如く上毛孤児院に於ては来る十一月十二日の両日郡山清水座に於て慈善活動写真を興業する筈なるがフィルムに有名なる「小公子」全一巻二百十六尺の長尺物なりしと〕

戊辰戦争の会津落城の時に幼児で辛酸をなめ、のちに作家になった女性に若松賤子がいる。
明治を代表する翻訳家として、バーネットのものがたり「小公子」を日本に紹介した文学者である。
岩代国会津郡阿弥陀町の会津藩士の長女として生まれ、父は函館戦に加わり捕虜となり、母は明治3年に死去。横浜の商人の養女となって離郷した。しかし精神的に養母を受け入れることができず、孤高の魂を自省しつづけた。だから、小公子セドリックのおかれた境遇や、小公女セーラの味わった悲哀を共感するには適役だったのかもしれない。
「小公子」は、維新後にできたたくさんの翻訳の中で、他に類をみない第一の善良な翻訳と評された。
明治29年、若松賤子は32歳の若さで没した。
大正5年には、はやくも映画化されて郡山清水座で上映された。
大正8年には「小公女」が、福島の大正館で上映された。

大正6年

【この年の県下の映画ニュース】
大正6年、塙劇場が開館。川俣座が常設に。原町町長松本良七が、町長を辞して原町を去った。東京の家族と合流するためだった。松本は名町長として親しまれた人物であったが、その妻クマは、子供の教育に熱心な孟母のような女性で、原町では子供たちを教育できないとみるや、長男を仙台の陸軍幼年学校に入れて大正2年に宮城県に転居し米屋をして生計を立て、さらに東京に出た。松本良七は単身赴任のような格好であり、町長を辞めることで家族合流が可能になった。松本良七とクマとの間に生まれた次男の文夫が、のちの亀井文夫監督である。松本の家族史は、原町を棄てることで一人の異色の記録映画監督を産んだ。
1月、福島座で新派悲劇返り咲全百場、急激犬山道節全百五十場、泰西大活劇鬼夫婦全二巻、実録先代萩、新派悲劇許嫁一名妓の義理金、活劇冒険中尉、喜劇活動式駈落、実写西班牙の風景。
2月、福島座で祖国ナポレオン大戦記、新派「伯爵夫人」、尾上松之助旧天竺六郎上映、喜劇大切なる椅子、風俗印度婦人の生活。新開座で新派悲劇雲、旧劇梁川庄八、活劇魔人島。大正館で新派悲劇鶯草子、旧劇天明侠客松岡半十郎、実写南米猛獣狩、黒手組。
3月、平聚楽館「白い手」「ラサーンの復活」「太閤秀吉」上映。有声座で新派「谷底」旧劇「鼠小僧次郎吉」泰西画「嵐の後」。福島座で新派悲劇初恋、軍犬。大正館で喫煙者が逮捕。原町座で犬養木堂講演会。喜多方朝日座で喜劇肌地蔵、伊賀越仇討、東京相撲、泰西活劇熱血。大正館で旧劇大久保政談矢代騒動、新派悲劇別れの潮、喜劇三人プランス、実写ブロンズ記念品、滑稽噂の噂。福島新聞伊達支局出張開設記念福島座の特別出張活動写真会が、広瀬座で。福島座で特派員の苦心(解題従軍記者の苦心)
4月、福島座で百万ドルの秘密、新派悲劇花吹雪、活劇独逸対連合軍、喜劇活動指揮駆落、パテー週報、旧劇侠客木鼠吉五郎、滑稽不思議な人、スタンレー気球より海中に墜落、黒手組団長、新派悲劇小夜子、旧劇阿部貞任、新派悲劇毒草。大正館で日本左衛門、サウンドホテル、指輪、ゼルサム汽車旅行、黄金の卵、ネバリ薬、聚楽館で徳川家康と血槍の九郎、ぢんぱ悲劇紅筆、拳骨。
5月、慶応2年の百姓一揆を描いた「信達騒動記」が発表。これはのちに福島で映画化される原作だ。
8月、若松館「拳骨」新派「春の辰巳」旧劇「塙団右衛門」。大正館で新派家庭劇「琵琶歌」泰西画「妖婦」英独戦争実写。松ちゃん「忍術甲賀流」、新派「新ハムレット」軍事活劇「勝利の鐘」上映。
9月、福島座で赤輪、大正館で釣り鐘弥左衛門、新派活劇白狐のお仙、大活劇火の山、ダンケルク会社、旧劇実説侠客弥太郎五郎源七。若松館で連続活劇拳骨、旧劇雲隠れお龍、新派悲劇少年車夫、営業主任に佐藤定英氏。己が罪、泰西活劇男の犠牲、下足番と女給は相変わらず下評判。大和館で旧劇狢物語、大川友左衛門、西洋物脱線か衝突か、喜劇二の二、新派悲劇白露、新派美人の血涙、旧劇朝顔日記。喜多方朝日座で新派人の子、活劇米国独立戦争。栄楽座でシビライゼーション平和か?戦争か?、弁士は天活専属石原登美朗。二等十五銭、一等廿五銭、特等三拾五銭、特等三十五銭、学生軍人五銭。清水座で新派活劇飛行機お連、大名三郎丸、西洋劇秘密探偵所。白河共楽座で白河の名所旧跡を活動写真に撮影して怪猫奇談赤壁明神を演じる。
10月、平館で欧州大戦実写。大正館は日活を見せていたが天活を上映。新劇場の忘己館(保原町)が参入。
11月、福島座「アイアンクロー」、大正館「名金」、川俣座「先代萩」上映。
12月、郡山清水座改築工事。松之助の切られ与三郎、新派山岡金之助、活劇鬼夫婦、喜劇木登り、教育劇子供のお守、新派悲劇新ハムレット、実写水の都、大活劇秘密の任務、滑稽飛び入り、旧劇多奈川庄八。大正座で新派悲劇おぼろ夜、旧劇忍流太郎、西洋劇冒険怪勇軍事活劇敵の士官、喜劇台所のメートル、弁士松本翠香加入し西洋劇を担当。会津の栄楽座で怪猿、久留米騒動、新派花の雲。大和館で旧劇荒浪五郎、泰西正劇ウラルの鬼。若松館で新派歌恋慕、旧劇娘大盃、護る影。平館で実写ツエッペリン襲撃、喜劇ハマの結婚、連続黄禍、死の鐘、滑稽即席療治、実写ベニス通り。大正館で連続名金、新派悲劇須磨の仇浪、旧劇水戸三郎丸、実写戦時の英国、喜劇靴。福島座で旧劇斧娘の伝、新派悲恋旅衣、連続鉄の爪。新年興行はアメリカ大作国の光、喜劇飛行娘、新派悲劇過去の恐怖。大正館新年興行で油井正雪と男一ひき。
活動見たさに自転車屋の小僧が犯罪。山十組雇人が福島座で暴行。

大正7年

【この年の県下の映画ニュース】
大正7年、1月大正館旧劇「血槍七之助」新派悲劇「配所の月」洋画活劇「社長の娘」。旧劇「大岡政談雲霧仁左衛門」「新派迷いの夢」全四巻、西洋探偵劇殺三巻ほか喜劇「愛の選手」実写「□市の光景」上映。「喜劇セインノ準備」「魔術凸坊新画帳」「旧劇血桜七之助」全三巻は四郎五郎延十郎出演。新派悲劇「配所の月」は五味深沢合同出演全四巻長尺。昼夜二回興行。福島座で新派悲劇「露の契」全四巻、吾妻山本一派出演「旧劇神通力源太」全三巻、「抱腹絶倒滑稽活劇デブ君の海嘯」全三巻、オーケストラ雲鶴一行の浪花節。福島座は新派悲劇「露の契」旧劇「神通力源太」滑稽活劇トライアングル、キーストン社「デブ君の海嘯」オーケストラ伴奏。新開座で活動連鎖劇を上演。福島座は新派劇「謎の夢」全四巻。旧劇「水戸黄門一国女」全四巻、探偵大活劇「判事の奇行」全五巻ほか余興の浪花節。
2月、大正館で旧劇「不動金剛丸」四巻、新派「山中の惨死」一巻、西洋物「人情劇肢体の焼失」三巻、泰西喜劇「ハムとちびの絶交」一巻、「チムの雑貨商」一巻、西洋実写「南極の実景」一巻。福島座、旧劇鬼若九郎江戸荒し全四巻、チャップリン新門番全二巻、泰西活劇「怪城」全三巻、実写「食事植物」新派「春の焔」全四巻。新開座で市教育委員会が「クオ・バデス」上映。大正館で旧劇「朝顔日記」全二巻、宿屋より大井川関助大立ち回りまで義太夫入り、新派「怪談海の歌」全四巻、泰西社会劇「カアソンの光明」(バイオスコープ社製)泰西喜劇大探偵一巻(ちびとハム)写真ジャングフロー鉄道一巻その他。
3月、大正館新築の間新開座で活動「村上喜剣」新派「過去の罪」泰西「ハムの手術」スイツツルの湖水「戦の声」上映。福島座でチャップリン大会。三人曲芸一巻、泰西お伽夢の国二巻、滑稽チャップリンの駆け落ち二巻、滑稽チャップリンの失恋二巻、滑稽大喝劇やぶ蛇三巻、追いかけ砲弾二巻など。尾上松之助「仮手本忠臣蔵」大序より12段目まで上場。全巻義太夫出語り。入場料特等25銭、一等20銭、二等15銭、小学生5銭。大正館で旧劇実録先代萩全六巻、西洋正活劇「金の蠅」泰西喜劇「逃げ上手四ツの子」その他。
大正館が4月民友新聞社の跡地に移転新築、落成。工費は一万円。定員千五六百人。4月に新築落成特別興行した。
8月、大福座新築・開場。
9月、大正館で忍術太郎三巻、チャップリンの禿かつら二巻、トルコの宣戦一巻、新派悲劇白百合「一名新不如帰」三巻、泰西軍事活劇「夜襲」。
11月、中村座で旧劇松之助出演「狐騒動」(全三巻)、新派「乱れ菊」西洋活劇「判事の奇行」「喜劇「象の取持」(長尺物)実写海軍大実習上映。
しばしば登場するデブ君とは、ロスコー・アーバックル、ハムとチビのコンビはロイド・ハミルトンとバット・ダウンカン。アメリカ人気喜劇。
「クオ・バデス」は、「主よ、何処へ?」の意味。ポーランド人作家が書いた小説の映画化で、ライオン30頭と三千人の出演者が織りなすスペクタクル・イタリア史劇。チネス社の六千フィートという大作。迫害を逃れたペテロが、ローマ郊外でキリストの顕現に出会い、「私は再び十字架に架けられるためにローマへ」と答えるイエスの言葉に翻然として逆さ十字架にかかる殉教史話で、カトリック本山のバチカンの発祥を描いた作品。
日本での公開は大正2年10月21日。加えてダヌンチオ原作の映画化「カリビア」(大正5年5月27日公開)などのイタリア史劇に刺激されてアメリカ人監督も大作を指向するようになった。

大正8年

【この年の県下の映画ニュース】
2月、十七の小娘が活動写真の帰り路を盗人に淫売、未明若松市を徘徊中捕わる。大和館での事件。
3月、福島座で「仙台大火」を上映。県下を赤十字の活動写真巡回。
4月、大正館で「小公女」公開。
6月、平館が映画上映中に爆発。福島座で新派悲劇女屑屋、人情活劇地獄の夫、滑稽活劇メーベルと水泳、戦争実写「戦争被害のルーヴァン」、民報平支局読者慰安会活動、有声座で上映会。岩瀬郡医師会が山間僻地の湯本村で衛生活動写真と幻灯会。活動帰りの白痴を侵す事件、川俣座で。
7月、福島座、川俣座、梁川でユニバース・キネオラマが好評。
8月、郡山大正館は館名を改め郡盛館となったが、さらには改築して文芸座となり、ユニバーサル社と特約、連続映画を上映した。
福島座で旧盆特別大興行、源義経一代記、少年探偵ビリーウエストの働き上映。勧進帳の場は北裡紅裾連長歌出語りを披露。
11月、「製作費用五百万円の大写真イントラレンス」と報じられ、期待高まる。大正館でイントラレンス上映。東北文芸協会主催で特等三円、一等二円、二等一円、学生小人五十銭。学生ばかり千人入場を記録。大正館は写真替りで、漫画海底見物。
栄楽座より弁士を表彰。
大福座で「デブ君の給仕」「べーテー逃走」上映。
若松栄楽座で色魔弁士楠春唐女たらしで検束。
12月、山木屋学校で大福座の写真を上映。活動写真興行の貸金で問題浮上。
アメリカの「国民の創世」などの作品で知られる国民的監督グリフィスの「イントラレンス」が福島で上映され、文化団体がこぞってつめかけた。けっこう高かった。出演人員30万人という破格のスペクタクル映画で、日本では3月30日に公開された。「イントラレンス」とは「不寛容」の意で、人類の不寛容がいかに歴史に悲劇の惨禍を招いてきたかをオムニバス形式で描く。その幕間にカットバックで、リリアン・ギッシュ演じる若い母親と揺籃の赤子の平和なさまが映し出されるという手法で、印象に強い。無音のビデオで観たが、なるほどロケのセットは巨大で群衆シーンは実際に古代衣装を身につけた数千の出演者で構成され、その規模の大きさに圧倒される。後の世のハリウッド製「ベン・ハー」や「クレオパトラ」の原形だろう。

大正9年

この年2月、松竹が誕生。やがて日活に対抗する勢力になってゆく。
【この年の県下の映画ニュース】
2月、藤田劇場落成。若松劇場も落成。
3月、新開座で連鎖劇。
5月、保原劇場開館。5月7日民報には保原劇場初舞台の写真が載っている。
6月、芸妓活弁の対決。有声座。
7月、郡山市清水座の弁士朝倉健二溺死。
8月、興行師と客の娘が駈落。
9月、天左の抜現活動写真奇術。
10月、素人倶楽部が野外撮影。五色沼に。
12月、郡山富士館が竣工し19日に落成式を挙行。二本松興行で脱税。
12月、川俣中央劇場が落成開館した。工費三万円。12月11日民報。
「新装を凝して三層楼の川俣中央劇場
工費三万円の株式で 来春左団次か宗十郎一座で開場」とある。
〔伊達郡川俣町の株式会社川俣中央劇場はこの春頃から設計にかかって長らく工事中だったが十一月下旬に凡ての工事を終って堂々たる三階建の劇場ができあがったが表入口は東京の新富と市村とを一緒にした様な作りで車寄や出札口、出口と入口の設備などが完全に出来たので田舎によくある戸迷ひや混雑を避けることが出来る様になってゐるし内部は三階になって雛壇が特等、平土間が二等、二階が一等、三階が三等とはっきりと座席を分けてあるので二千人の客を楽に収容することができる舞台は八間の四間で道具置場から小道具部屋、楽屋まで殆ど理想的で二重舞台もありセリ出しから廻しも利くしフットライトから低高機までも備へつけてある花道は三間半で新富に倣ったものだといふ話で場内の装飾や設備は福島県下に指を屈する程で工費は三万円で同町の古又乙次といふ大工が苦心して建築したもので社長に推薦された同町資産家本田春治氏、同町の丸高主人、福島市新町佐川徳蔵氏等が機業名として天下に誇るべき川俣町発展のため斡旋奔走して創立したものであるが設計後間もなく財界変動の余波を受けて同町も悲境に面し未だに景気が回復せぬのでこけら落しをする筈であったが町民に遠慮して延期してゐたが来春は景気挽回をはかる意味で明治の市川左団次一座が帝劇の沢村宗十郎一行を招いて華々しく開場式を挙げるさうである〕
翌年9月7日民友〔川俣中央劇場 今回東京日活会社と特約し活動常設館となしたるが第一回開館祝いとして一日より同社特選写真新派「広瀬中佐」旧劇「加賀鳶」泰西活劇「黒自動車」等を上映すと〕

大正10年

【この年の県下の映画ニュース】
1月、大正館で赤手袋、井伊大老。福島座で虎の足跡、広告。大正館替、人形の夢。大福座で文福茶釜と呑龍上人、火の山、船乗の秘密。「世界の心公開 いよいよ明日から」の記事。グリフィン監督の意欲作。
福島座でトライアングル・ケビー社の「アラスカ情話」「狼のローリー」五巻に国活秘蔵のコメデイ「サニーサイド」三巻、「赤提灯」六巻を上映。
福島座で「暗黒に秘密」大正館が「真珠夫人」広告。
2月、新開座改築。大正館の連続写真「赤手袋」これにて大団円。
弁士劇 久室久三郎経営託児所 清水座で薩摩琵琶活動写真。大福座で日活南総里見八犬伝。説明岡庭梅洋氏「仮名手本忠臣蔵」。
3月、日本名映画「国難」新開座に上映。
4月、友楽座で漫画凸坊の一日、大喜活劇「潜艇」連続活劇「百万弗の秘密」最終編等。
5月、福島市の活動写真館常設栄館が誕生。
開館式を盛大に挙行。松竹キネマ直営。東宮殿下御渡欧実況を上映。
6月、福島座で忠臣蔵、新開座で邪教伏魔殿。栄館で旧劇安達ヶ原三段目。
7月、福島市中央公園で活動映写「東宮御外遊御模様」。喜多方署が火防衛生軍事思想活動写真。若松市の児童生徒に活動観覧を解禁。耶麻朝日座にて「チブスの巻」ほかの活動宣伝上映。「人気活動俳優早川雪州の今」消息記事。「若松市の児童映画 毎土曜日に開館 入場料五銭 栄楽座」の記事。
8月、双松座連鎖劇は高浜一座不人気。栄館ドロシー・ギッシュ嬢出演広告。栄館、東宮殿下御渡欧実況広告。「工女らが娯楽の為に活動写真を購入」の記事。「改善を加へる活動写真検閲」の記事。
9月、聚楽館連鎖劇上演。引き幕を贈呈。
「平町に新劇場 十一月中旬完成」の記事。
「改造映写成功 耶麻警察」の記事。
10月、新開座にて「改造」上映。16日より。富岡座で〔十五日秋祭りなので「青春の夢」上映で蓋明け〕
11月、「旧劇映画を背景に弁士同士の大活劇」の記事。大正館で北辰会主催教育写真「好戦将軍」アンブローズの冒険、新派こだま、旧劇安中草三郎一代記、虎の足跡上映。新開座で惨虐の尼港、説明は國活特派員芳本浪華、津野将軍附属撮影班実写。福島座、電光石火。
12月、大正館、歯なし花嫁、今夜だけ、新派秩父颪、洋「覆面の騎手」馬場小冠者広告。須賀川座、新派球の光、連続活劇空中魔、旧劇鬼退治。
チャップリンの「キッド」7月30日公開。
この年「白河に常設館 売られた共楽館」

大正11年

5月、マキノ教育映画発足。翌年、マキノ映画製作所に。
【この年の県下の映画ニュース】
大正11年1月、大正館で東宮殿下御統監大演習実況、赤手袋、井伊大老、真珠夫人、新派村の唄、正劇烈火の情念、旧劇四谷怪談お岩稲荷。福島座で虎の足跡を広告。グリフィス「世界の心」公開。暗黒に秘密、松之助一派拳骨漫遊、新派悲劇女の死ぬまで、泰西喜劇ニッカーボッカーバッカロ、優しき乙女、続ロッキールス、善悪、人娘など上映。大福座で旧劇九尾の狐、石井谷蔵、旧劇呪いの幻影、新派新聞売子など上映。好間村でサガレン慰問活動写真。
2月、大正館、妖怪旧劇本所七不思議、無敵エルモ広告。大正館の連続写真「赤手袋」大団円。清水座で薩摩琵琶活動写真。大福座で日活南総里見八犬伝、説明岡庭梅洋氏「仮名手本忠臣蔵」上演。
3月、.須賀川座で新派花吹雪、懸賞百万弗、旧劇徳川五郎蔵、喜劇珍妙の担保など上映。日本名映画「国難」新開座に上映。
4月、大福座は日活と解約し帝国キネマに改める。友楽座で漫画凸坊の一日、大喜活劇「潜艇」連続活劇「百万弗の秘密」最終編等上映。福島座で「水戸黄門」。会津館で「ヘレンの狂乱」「春の歌」「徳利」「直侍」。「尼港」活動写真を土湯と荒井にて上映。帝国ホテル火事で英国太子フィルム全焼。栄館、松竹出張の石井氏ら引き上げ。活動のフィルムから発火し秋田市の大火。
5月、古屋信子「海の極みまで」栄館で。大正館「ホームラン王」。「民衆娯楽の王 活動写真の全盛」の記事。
7月、訓導小野さつき女史の死、恐怖島、福島座で。大正館でサーカス王、妙義の山猫、国境の娘、英蘭の古跡。
8月、広野村同窓会で活動写真会。同村小学校で四百名以上の盛況。「訓導小野さつき女史の死」原町座に上映。大正館で暁星、江戸七不思議、ダイヤモンド女王。衷心の声、斬新曲芸。福島座で大楠公、ベルベット、妻のおもかげ。
この年、庭坂に天戸座が誕生。

大正12年

1月8日、島津保次郎監督、栗島すみ子と岩田祐吉のコンビの「船頭小唄」公開。主題歌が全国に流行し、各地で反響を呼んだ。
ドイツ映画「ドクトル・マブセ」5月1日公開。
【この年の県下の映画ニュース】
1月、大正館で喜劇蜜柑の緑、国活旧劇仙石騒動、連続肉弾の響、伯林の狼、新派悲劇鷲津村の娘。新開座の高瀬実連鎖劇、須賀川座に開演。同座で新派丸山情話、新浦島物語、新派国の光、連続冒険旗手、仲間割れ。野球活動写真「熱球飛ぶ」「第三者」。
2月、大正館で喜劇ボビーが怪しい、旧劇大工の六三、覆面の呪、新派暁山の雲。福島座で社会劇地獄の天使、新派悲劇桜吹雪、鍋島の猫。
3月、大正館で喜劇馬鹿騒ぎ、旧劇木曽庄九郎、覆面の呪、毒旋風、新派悲劇娘を訪ねて、東西各大学大角力、旧劇国定忠治、覆面の呪、新派悲劇狂人の祈り。喜劇白い足跡、尋常活劇ダンテの心の焔、旧劇馬場三郎兵衛、覆面の呪、新派悲劇秋の海。本宮電気がデブライ映写機を購入して供給区を巡回無料上映。北会津郡湊村で衛生宣伝活動写真。
4月、郡山で畜産思想宣伝活動写真。大正館で喜劇のろまのシモン、社会人情活劇海の神秘、連続西部の勝者、凸坊のお払い箱、人情活劇黒い輪、旧劇先代萩、新派悲劇悩める人々、パテー実写新聞の十四、社会劇□金と運命、マキノ旧劇大石内蔵之助、国活新派悲劇漂白の子、漫画凸坊の新兵、人情劇若き妻の悶えへ、旧劇牛若丸、連続西部の勝者、新派悲劇婚礼の夜。新開座で連鎖劇「花の咲頃」「小豆島」「デブと女優」。松竹キネマ野球団対福島の野球戦。県工場協会が工場衛生活動写真を購入。郡山三小で畜産宣伝活動写真。河沼郡野沢劇場で副業奨励宣伝。県保安課で「十字路」試写。
5月、大正館で勇敢なアンブローズ、□□の誘惑、旧劇柳田角之助、生みの悩み。浪江小林区から借受て県保安課が鳥獣保護の活動写真。福島座で髑髏の舞、漫画イソップ物語、喜劇年は取っても、連載五右探偵。
6月、大正館でスクリーン・マガジン、喜劇獅子と娘、活劇男の舞台、旧劇慶安太平記、連載燃ゆる円盤、新派悲劇日章旗。新開座で幼年時代の乃木将軍、日の出国、喜劇嬉しい旅行、旧劇水戸黄門漫遊記、連続燃ゆる円盤、新派悲劇娘火消。原町東座落成。福島座で署長連の倫敦警視庁員の活動状況活動見物。大正館で郡山子守学校活動写真、小公子、上毛孤児院が公会堂で慈善興行。大人50銭と35銭、小人20円。

大正13年

6月、米国製映画の上映禁止を訴え大行社と鉄心会が帝国ホテルで日本刀を振って剣舞。米国宣教師の退去と淫風絶滅を叫ぶ。8月福島で石田刑事が狙撃されるという事件が起こり、犯人に感化を与えた美談が9月に日活でロケーション撮影され映画化。全国で上映された。瓜生岩子の伝記映画できる。
【この年の県下の映画ニュース】
大正13年、震災映画ぐらいで劇映画は魅力に乏しく、福島花柳界では自主製作の探偵映画を撮影。9月、福島の南の宿場町松川駅前に松楽座が出来た。
1月、福島劇場で「ゼンダ城の虜」栄館で「人肉の市」水藻の花、飛行女賊、灰燼、二人の孤児、愛は奪ふ、播随院長兵衛。大正館で呪いの焔、大福座で哀悼の曲、塩原太助、大奮迅、侠客喧嘩屋五郎兵衛、蔭に咲く花、大久保一本参る、彼女の運命、続月光の騎手。 郡山駅会議室で従業員と家族の衛生思想映画。2月、栄館で秋田の義人、実写曲技飛行、拳銃の刻印、耶麻郡で愛国婦人会活動写真。
3月、公会堂で欧州大戦活動写真会。栄館で四谷怪談、神秘劇ナイルの明星、漫画いたずら猫。マキノ直営大福座で妻の秘密、独立独歩、義侠のジム、連続月光の騎手、燃ゆる渦巻、切なきは恋、最後の一撃、悩める子羊、村井長庵、後の金色夜叉、雁の群、娘も年頃。大福座で情熱の国、男が妻を撰ぶ時、人?鬼?、眠れる獅子、ツバメの歌、板挟み、燕の悲歌。。愛国婦人会が公会堂で活動写真会。英領コロンビアの風景、東宮殿下ご成婚ご模様謹写、滑稽笑った女、活劇サロメジャン。大正館で象の夢、或る仇討の話、一人行く。侠男、花輪の首飾り、恨の名刀、平井権八郎。
4月、大福座で活劇猛闘2巻、喜劇手がつけられぬ、人情劇嵐の夜5巻。マキノ映画衣笠貞之助監督大悲劇「恋」6巻、喜劇借りた赤ん坊、西部活劇運命の賽、ロビンソンクルーソー漂流記、マキノ映画彼女の運命。年中ヒルヨル二回上映。松竹栄館「黄昏の街」「仮病八つ当たり」「鼠小僧次郎吉」「父」「母」。大正館18日から実写沿岸航行、喜劇野外生活、旧劇猿飛虎太郎、新派珠の光り、梅川忠兵衛義太夫、帝国キネマ芦屋作品霧こむる夜。
5月栄館「孔雀の路」メトロ8巻、沼の嘆きお姫草(栗島澄子主演)、小谷ヘンリー監督「幕末紅情史恋の密使」、奏楽歌劇マルタ、松竹管弦楽団。「永遠乃母」「熱風の下に」「小笠原狐」「甘い仲だよスイートホーム」「素朴の人々」「鐘の鳴る日」「正ちゃんの冒険」「奏楽円舞曲」松竹管弦楽団。大福座で従軍旗、連続ロビンソン、旧劇葵徳太郎、新派永劫の火。大正館23日より実写スタルルツ、喜劇鶏追(嵐璃徳一座)、旧劇秋篠物語、佐藤紅緑新派劇連続現代大盗伝青春篇7巻(歌川八重子)、時代劇血の笑ひ(嵐璃徳一座)。蚕業活動写真、大沼郡方部で上映。県蚕業組合活動写真会21日から。
6月、松竹栄館で、人の世の姿(ニーラン監督)、山本有三原作舞台劇嬰児殺し(野村芳亭監督)、霧こむる夜(歌川八重子主演)
6.3.「青い鳥」新開座で試写会。大正館「喜劇家賃取立人」「新派悲劇白蓮紅蓮」旧劇天下茶屋の仇討、連続大盗伝争闘の巻。福島劇場で街の物語(沢村晴子主演)、活劇女を征服する力、喜劇森の乙女、実写オリンピック大会、旧劇富士八郎、新派京屋襟店、チャメ同士。大福座、喜劇無花嫁2巻、活劇人生の春5巻、旧劇鼠小僧6巻、新派小雪6巻、大連続初篇蛮勇ビル(ユニバーサル社)16篇31巻。
7月、栄館で野村芳亭監督作品、山形連隊出演の大和魂。須賀川に2万円の出仕募り東北キネマ撮影所設置。
8月の盆興行で大正館は大毎ニュース、喜劇後藤又兵衛、連続活劇八十日間世界一周、純映画生さぬ仲。26日、目玉の松ちゃんこと尾上松之助ら日活俳優一行が17名来福し福島座と福島劇場で挨拶。27日には午前8時23分に花火を合図に郡山駅に到着すると聞いた聞いたファンが数千人、雨のそぼ降るなか朝から駅前広場に集まった。12時16分に到着と変更を知らされて群衆はいったん解散。雨の晴れた12時、再び群衆が集まったが富士館が配った歓迎旗を翻し、プラットホームには関係者と芸妓数十名が歓迎した。一行が到着し眼前に尾上松之助が登場し白いパナマ帽を高だかと掲げると「松ちゃん万歳」の声に迎えられ自動車で和久屋旅館に向かった。小憩ののちお披露目の挨拶。新聞には翌朝の出立が報じられたので、同じような見送りがあったであろう。続いて川俣座、川俣中央劇場、若松でも挨拶。全国でこのような歓迎の光景が展開された。
9月16日、石田部長の映画、福島劇場で試写会。喜多方在郷軍人分会は朝日座で招魂祭活動写真会。大正館で歌川八重子「足跡」「ゴーモン週報」、時代劇「嫉妬か仇討か」連続終篇「社交界の怪賊」、
10月、須賀川中央で塵境、梅川忠兵衛、ホワイトチャペル、燃ゆる渦巻。須賀川座で廿ちの頃、星の歌、恋の密使、東本願寺の慶事実況。熱塩示現寺で、喜多方朝日座で、若松大和館で瓜生岩子の伝記映画上映。栄館で牡丹灯籠、英国の少年義勇団、オレも男だ、絶海の狼、夜の一幕、茶を作る家、虎と熊、大瀬の半五郎、映画になるまで、蒲田から海へ、山男の恋、絶海の狼、日光の円蔵、海は笑ふ。大福座で強敵猛撃、林檎、濡れ鼠、情熱の焔、マキノ緋金襴、由利刑事、連続・13の秘密、故郷への道。長岡瀬上間の摺上川鉄橋で「大正弥次喜多」のロケーション撮影中に主演の清水真蔵が列車事故で川に落下、頭部背部打撲で瀬上鈴木医院に入院。大正館で実写九州巡り、修善寺物語、極悪より善人へ、花に戯れ、阿呆かいな、兄弟敵、牧場の兄弟、キングの娘、三勝半七、悩みの町、又やられた、山の力、勇気百倍、野獣の楽園、盲目の幸福。
11月、平館で灼熱の恋。安達郡白石の友人殺人事件を題材にした農村哀話「京助と卯吉」全5巻が県下本宮、三春、二本松、小浜、川俣、桑折、梁川、安積郡喜久田で上映。郡山みどり座で高野山大師教会本部主催如宝寺郡山婦人会後援で弘法大師活動写真会。須賀川座で紅恋大秘史「黒法師」獅子奮迅、委細面談、拳闘。三春座で連鎖劇西野薫一座が来演、国定忠治、桜ひさご、鄙に育ちて、「籠の鳥」。栄館でウイリアム・テル、河内山宗俊、島に咲く花、一高対三高野球戦。大福座でロビンフッドの夢、関の五本松、立ち役違ひ、男の行く道、狂恋の舞踏、雲母坂、緑の捨て子、的の栄冠、散りゆく花、復讐の日。大正館で大阪動物園、国際時報、連続「野獣の楽園」「彼女の運命」、時代劇連続「兵学大講義」「鉄路の猛者」「森の王者」「大毎ニュース」「氷の汗」「太陽は笑ふ」。
秦哀民が大福座「風の精霊」、大正館「田植中隊」の映画評を発表。
12月、大正館で車輪製造、自動車騒動、美しき復讐、息を凝らせ、意気地、鉄路の猛者、女心、金子市之丞、籠の鳥。松竹蒲田のスター梅村蓉子と東栄子ら一行が島津安次郎監督に引率されて飯坂を来訪。ロケーション撮影した。栄館で人若き頃、海潮音、都の松、遠慮するな。福島劇場で宝石とパン、船大工貞五郎、小天使。大福座で心の故里、忠と孝、紅血魔。大福座は正月興行から国活をやめて東亜キネマ本社の輸入作品を上映。

優秀映画の発表

13年と14年は、芸術的優秀映画と娯楽的優秀映画のベストテンが発表になった。が、映画史に残る名作と、実際に地方都市で観られたレベルのフィルムとは雲泥の差がある。
日本映画と外国映画のベストテンが発表されたのは大正15年から。
ちなみに、例を上げてみれば、次のようである。
大正13年キネマ旬報ベストテン
芸術的優秀映画①巴里の女性(チャップリン)②結婚哲学③椿姫④過去からの呼び声(伊)⑤我が恋せし乙女⑥ノートルダムのせむし男⑦異郷の露⑧歩み疲れて⑨不滅の情火⑩心なき女性
娯楽的優秀映画①幌馬車②ハリウッド③用心無用④無鉄砲時代⑤シャーロック・ホームズ⑥男子怒れば⑦狂恋の唄い女⑧心なき女⑨風の国のテス⑩ロジタ
大正14年キネマ旬報ベストテン
芸術的優秀映画①嘆きのピエロ(仏)②キイン(仏)③救ひを求むる人々④ジークフリート(独)⑤クーリムヒルトの復讐(独)⑥燻ゆる情炎⑦冬来たりなば⑧恋の凱歌⑨ポー・ブランメル⑩ホワイト・シスター
娯楽的優秀映画①バグダッドの盗賊②ドン・Q③ピーター・パン④蜂雀⑤猛進ロイド⑥オペラの怪人⑦海賊アップルジャック⑧荒武者キートン⑨シー・ホーク⑩美人食客
大正15年キネマ旬報ベストテン
日本映画①足に触った女②日輪③陸の人魚④狂った一頁⑤カラボタン⑥受難華⑦紙人形春の囁き⑧転落⑨水戸黄門⑩蜘蛛
外国映画①黄金狂時代②最後の人(独)③ステラ・ダラス④海の野獣⑤鉄路の白薔薇(仏)⑥ダーク・エンゼル⑦海賊⑧熱砂の舞⑨ロイドの人気者⑩滅び行く民族
(仏)(独)(伊)以外の外国作品はすべてアメリカ。自慢ではないが、「黄金狂時代」以外は観たことがない。「鉄路の白薔薇」も有名だ。

大正14年

【この年の県下の映画ニュース】
1月の正月興行。福島座で松之助関東十人男、峠の唄、小笠原騒動。大正館で籠の鳥、鉄路の猛者、金子市之丞、ユ社「信号塔」。福島劇場で猛火を衝いて、謎の花婿、熱血の刃、鬼の四郎右衛門、プランター、島のあわれ。栄館でモヒカン族の娘、ほん者にせ者、坊やの復讐、関の五本松、高野長英。関の五本松は大福座で上映の宮島健一主演のもあった。高野長英は中村吉十郎主演の日活第一部作品もあるが、これは下加茂作品で古賀残夢監督。二週目から「雷お新」。大福座で人生の故里、春の夜の恋、栄光の剣。栄光の剣は天草四郎が主人公の天主教を題材にした一編。明石潮主演の入社第一回作。等持院作、後藤秋声監督。
新年号の民報には大福座と西村キネマ・座員一同の広告。日活直営福島座・福島劇場の広告で経営者飯岡脱線と見える。栄館の広告もあるが大正館はない。
第二週以降。大福座で泰西名画人間のやうな獣達、時代劇栄光の剣、人情劇森林の娘、新派悲劇劇風に鳴く小鳥、悲劇狂恋、累ヶ淵、鉄路の猛者。大福座で喜劇「悪い了見」、競馬活劇「馬上の生死」、連続活劇「紅血魔」、東亜キネマ現代映画「恋とはなりぬ」、マキノ時代喜劇「四十年の恋」、マキノ時代喜劇「天晴大関」
福島劇場一周年記念興行で喜劇「きりきり返答」「港の娘」「憂国の士」プランター」「海に鳴る男」。
栄館「逆流に立ちて」「元禄女」「雪谷の侠夫」「モンテーの人助け。須賀川座で現代諷刺「夜の一幕」蒲田特作品勤皇志士「高山彦九郎」、大悲恋劇「世界を敵として」ミリアム・クーパー嬢主演。栄館広告で舞踏詩劇孔雀の嘆き、猛闘乱撃活劇週間、冒険探偵活劇指輪、時代劇血湧肉踊新門辰五郎、大復讐劇明け行く路、実写米国海軍航空演習、下加茂時代劇おくみ法界坊、洋画妻を進ぜよ、色々御厄介、蒲田「赤坂心中」、奏楽行進曲「金婚式」。大正館は実写ユ社週報、婿探し、活劇蛮力世界、時代劇猛闘の彼方、映画劇高原の処女、連続鷲の爪、旧正月興行で連続「鷲の爪」時代劇「  の彼方」「高原の処女」「猛闘の彼方」「鷲の爪」活劇怪人物、喜劇犬のお陰、実写ユ社週報、時代劇猫?、映画劇何時迄踊る。西村キネマ(大福座)マキノ「斬研」喜劇八方塞、連続紅血魔、人情劇人?名誉?、東亜現代悲劇苔は鳴る、時代諷刺劇茶人木阿弥、「歓楽の贅」▲現代喜劇「恋の猟人」九巻中根龍太郎、生野初子共演▲新連続大活劇「秘密の販売」メトロ社作品ビバリー主演四巻▲小吹映画「小豆島情話」六巻、関操、絵島千歌子共演▲東亜独特時代劇前出 曙山原作「歓楽の□」六巻総指揮マキノ省三、市川崎谷、本間直司、森静子、横山運平共演。
大日本炭坑活動写真。全山休業一般公開。
栄館で霧の夜話、恋の謙信、嘆くな姫君、奏楽フォスト(幻想曲)グノー傑作。
大正館で大毎ニュース、喜劇動物島に難破、活劇復讐の騎手、時代劇異端者の恋、連続鷲の爪、説明者安田興風、映画劇緑死病(原名グリーンパス)、説明者若□潔。
3月、ユニバーサル社と帝国キネマが共同経営・毎回ジウレル映画と連続特作品一本を上映する大正館でノートルダムのせむし男全十二巻、人情活劇奮起の青年、大喜劇妖魔退治、国際時報、喜劇海水浴美人、人情活劇暗天一の街、ドン続、白藤権八郎、連続鷲の爪、ユ社追放、帝キネ恋の勇者、安田作兵衛の娘、無名の怪人、迅雷列車、保津川下り、活劇目的慣行、国際時報、喜劇美人踊り、安田作兵衛の娘、無名の怪人、迅雷列車、映画劇恋の勇者。
栄館で飯坂ロケーションの新己が罪、難波の福、がまきち、混戦結婚、五月信子帝キネ入社第一回作品情火渦巻く、大毎ニュース、喜劇西部入り、国際時報、西部劇アリゾナの猛漢、白藤権八郎、連続迅雷列車、母なればこそ、恋に狂ふ母、輸入活劇大冒険王、喜劇お臍がピカリ、奏楽三勝半七(古山楽長)、夜明け前、阿部川の血煙、奏楽ボヘミヤの女。蒲田傑作大会。探偵実話五寸釘寅吉、哀話狂へる母に、諷刺喜劇仙人、連続大冒険王、大喜劇ガラクタ兵隊、実写鈴木伝明松竹復帰歓迎、諷刺喜劇仙人、奏楽キャラバン。
西村キネマ(大福座)で喜劇気晴らし海浜、映画劇武士と乞食、現代悲劇どん底、連続探偵活劇秘密の財宝、人情劇雲間の月、毒刃。
喜多方朝日座で水兵の母。郡山富士館で猛獣の国アフリカ、厳窟王、伝明青春の歌、東亜千石時代、新派忍び泣く親、松之助岩見重太郎、岩窟女王、サーカスデー、恋の躯、歓楽の女、野獣?人?、突張り屋、旧劇「血涙」松之助、映画劇「恋を断つ婿」大活劇「銀山王」実写「祇園祭」。三春座で戸籍活動写真巡業隊の死の奮闘、新派大尉の娘、喜劇チャップリンの拳闘、大人廿銭、小人十銭。大和館で朝鮮キネマ海の秘曲、血涙、洞窟女王、実写、可愛い悪魔、旧劇「血涙」連続劇「洞窟女王」実写「尾久野球戦。三春座で「国定忠治」実演ほか郡山富士館から出張上映。須賀川座で現代喜劇日本一暴れ者「悪太郎」、「佑天吉松」西洋喜劇「愛の黎明」。メトロ喜劇「バンカラ教育」。
福島公会堂で婦人会の活動写真入場無料朝日キネマ「奮起の力」「生死の屍」「桃太郎の悪魔退治」「デブ君の大失敗」。公会堂と百七銀行でスキーの狐狩無料公開。
大正館でブルリッケの谷、喜劇大選手、活劇法の人、活劇轟く凱歌、時代劇お奉行様、迅雷列車、人情劇黄金の花、ゴーモン週報、喜劇相棒、活劇巨腕の人、活劇我に敵なし、時代劇春の根岸、映画劇山の悪魔、押かけ婿、乾坤一擲、日本一の桃太郎、渡守の兄妹、阿修羅と猛りて、ジュウエル作品人生裏面大解剖史「メリーゴーラウンド」喜劇離れるものか、活劇名誉の砲手、活劇第三拳闘王、映画劇血で血を洗ふ、劔は裁く。
県有活動写真会双葉郡刈野、大堀、長塚、熊町、上岡、石川郡蓬田。
福島劇場で旧劇「高野長英」、箕面心中、プロテア、武士道の夢、旧劇涙の捕縛、映画劇君国の為に、大活劇プロテア、人情劇犠牲の罪、実写日活ニュース、活劇秘密の暗号、西部活劇猛者来る、帝キネ経文と友禅、連続迅雷列車、帝キネ時代活劇抜討権八、ユ社人情劇闇の女神。
4月、栄館で三日月お六、大冒険王、活劇一度怒れば、現代哀話少女の悩み、奏楽結婚の薔薇、お伝地獄、珍映画なつかしの蒲田、人情劇罪なき罪、実写ムビーチャット、近日メリーゴーラウンド、ヂゴマ、井上正夫の「大地に微笑む」、大地に微笑む、懐かしの蒲田、喜劇珍型選手、時代劇お伝地獄、(説明者桂木天性)奏楽「ワルスサタネラ」。次週ペンロット。大福座から福島座へ引っ越した西村キネマがフォックス貧しき人の群れ、沢正の「恩讐の彼方へ」。休館一ヶ月紛争の福島座は特高の介入で痛み分け。
5月、福島座で恩讐の彼方へ、復讐活劇遺恨十年、血を見た男。福島劇場で白藤権八郎、生死を□えて、血汐の吹雪、大人の迷ひ児、快速飛行、若さよさらば、妾の勇士。ままよ五千石、現代劇光明の前に、大活劇豪勇ダン、喜活劇ミイラの踊り。大正館で国際時報、女水夫、漂白の女、幽霊の都、悪霊、怖ろしきの世、荒木又右兵衛、キブスンの百万長者。喜劇強い細君、ペギーの花売り、フランス娘、名馬の誉れ、荒木又衛門、幽霊の都、血戦、打て走れ。人情劇落陽の道、現代劇街の人々、連続活劇幽霊の都、荒木又右衛門、愛国の喇叭。栄館で大地は微笑む最終篇、生命を弄ぶ男、平手酒造、胆がつぶれた、結婚の機会。大地に微笑む、影に怯えて、恋の秘曲、京屋のお糸。飯坂でロケーション。松竹キネマ「村の先生」の新井淳ら来る。県有活動写真会大沼郡連合処女会。珍しい弁士の後援会結成。島暁蘭。野外教育映画会、郡山駅鉄道倶楽部。郡山富士館で東亜頭巾の女、ああ関東、結婚愛。伊太利チネス会社活劇血汐の吹雪、日活白鸚鵡夫人、東亜恋と武士、四藤権八郎。清水座で大地は微笑む、毒婦三日月お六、月光騎手。大正座で□は強し、消□、旧劇貴島。国際時報、喜劇乾板洗ひ、得意の鼻、赤ちゃん大切、ニコニコ顔、活劇怒髪奮迅、連続幽霊の都、映画劇熱火、活劇宇宙突破。
6月、新開座で台湾の映画、無料。大成保険。栄館で集合列車、蒲田「波の上」。哀話小さき旅芸人、めちゃめちゃハム。人情悲活劇最後の一瞬、現代悲劇呪はれたる操。時代劇ある兄弟。栄館で或る女の話、名馬一鞭、悲恋大活劇幻を追ふて。

福島毎日が創刊され、映画報道も詳しい。
11月、新山会館烈風の為め倒壊。
12月、郡山にフィルム商会が出来た。有名な阪妻プロの「雄呂血」が公開。富岡座で五日より新派「白河」旧劇「鞍馬八郎」喜劇弥次喜多その他を上映。福島座でハミングバード、郡山税務署で納税思想普及活動写真会、鹿島町東座で福島毎日創刊記念活動写真会。石神一小で活動写真会。本郷の栄楽座弁士一条与作が.張り子を誘惑、富士館等に密会して検束。

大正15年

【この年の県下の映画ニュース】
大正15年、大正館(北条安吉)はユ社・帝キネ共同直営に。
1月、白河町基督教会で活動写真「神の人」「キッド」上映。小高座で火防宣伝映画。須賀川座でオペラ座の怪人。二本松で禁酒運動の慈善活動映画会。栄館で乃木将軍。白河基督教会で映画会。
2月、日活撮影隊が中沢スキー場実写。孝子掃不関三君映画になり幾世橋村に出張撮影。双葉地方で上映。川俣中央劇場が祝賀映画会「荒木又衛門」上映。日活撮影隊が中沢スキー場五色温泉で実写。川俣線が開通し、川俣中央劇場祝賀映画会で荒木又衛門。松川の祝賀会で松楽座の盛況。
3月、若松の活動常設の風紀紊乱で警察署では男女席の区別を励行する方針。
4月、石川町の劇場建設両派に分かれて暗中飛躍。
5月、農民慰安の娯楽場を設置。田村郡大越で三万円の経費を以て完成。8日大越娯楽場落成上棟式。
石川町の劇場問題は佐藤署長の調停で落着。石川町の劇場問題が妥協破れて再び紛糾。
5月、大正館ユ社直営となる。「大楠公」を上映。.
6月、長沼町の長沼座で北海道事情紹介活動写真上映。
7月、鈴木伝明が牛島虚彦監督と猪苗代にロケーションで来訪。映画説明界の権威生駒雷遊来福。映画「古武道」に弓術の佐倉翁が出演。
8月、高島愛子と龍田静枝が来訪。
9月、尾上松之助死去。
10月、坂下高田本郷三カ所で会津新鉄道の開通祝賀活動写真公開。郡山鉄道会が駅前広場で活動写真。新開座で軍事宣伝国防活動写真。劇場新設にも政党的色彩が出て石川町を中心として三つの願出。
11月、二本松で火防宣伝の映画を双松座主斎藤駒吉が上映。安達郡大平村出身、警視庁警務課勤務武藤巳之作原作。日蓮一代記の活動連鎖劇が新開座で公演。日和田町で娯楽館建設計画。町制三周年一万円見当で。真言宗二本松長泉寺が仏教映画会開催(双松座で)。天理教安達郡支部が活動写真会。三春町の三春座大賑い。
大正15年の新聞にちらりと鈴木伝明の会津ロケの記事さえある。鈴木伝明は、かつて石原裕次郎や加山雄三のような青春アイドルだった俳優で、日本映画史初期の芸術的作品作家の牛島監督とともに猪苗代に来て撮影にのぞんだ。

大正の映画動員数200万人

ちなみに県下での映画興行回数は大正8年に4227回、9年に9964回、10年に7678回。
大正11年に活動写真の上映回数は7980回。
県保安課の資料で大正12年中に活動写真開演日数は8683日。開演回数は9844回。入場人員は大人135万5816人、小人70万1473人。合計して入場者数205万7289人。入場金額が34万6568円余。
大正13年の活動常設館は県内に26館。
こうして大正を概観すると、各地には地域に根ざした劇場が存在する。また映画を鑑賞するだけでなく、娯楽の王様として生活に根付き、息づいており、田舎の地元が撮影の現場になる機会も増えてくる。劇映画のロケーションや記録映画の撮影を体験するようになるのも大正期からだ。娯楽の殿堂となった映画館は、しかし社会問題の震源地でもあった。

怪盗ジゴマ現る 映画館は悪の巣窟

明治末期から大正の日本に大流行したフランス活劇「怪盗ジゴマ」は、悪の魅力をまきちらした。仏エクレール社。レオン・サージー原作でパリのル・マタン紙に連載された悪漢小説。怪盗ジゴマがあざやかな手口で犯罪をやってのけ、これをまねして各地でピストルのおもちゃを通行人につきつける事件が続出した。映画は社会に害悪をもたらすものとして顰蹙を買い、両家の子女に活動写真を見せることが憂慮された。公序良俗を乱すものとして大正元年10月20日以降からはジゴマと名の付く興行は一切禁止された。犯罪人が主人公となって喝采を受けるような活動写真は認めるべきでないと、ここに権力の映画への介入がはじまる。
初期の映画は芝居小屋で上映されたが、やがて大正に活動常設という映画専門館が出現。その周辺で、さまざまな悪事が展開された。
大正8年からの民報・民友のマイクロフィルムから、当時のゴシップ記事を拾ってみる。
大正8年1月「十七の小娘が活動写真の帰り路を盗人に淫売、未明若松市を徘徊中捕はる 大和館」
6月「活動帰りの白痴を侵す 川俣座」
11月「色魔弁士 若松栄楽座で女たらし」
活動弁士の中には全国を流れ歩く無頼漢もいた。地方の映画館にもぐりこんで弁士として生活しているが、ある日豹変して化けの皮を脱ぎ捨てては泥棒の本性を現したり、女性を犯したり、捕り物になったりした。
9年4月「色魔弁士の黒手」
6月「活動帰りに劣情」平、有声座で強姦事件。
8月「若松劇場内の捕物」「平 有声座弁士が脅迫状」
14年12月「張り子活動弁士に誘惑さる 本郷 栄楽座の弁士一条与作に 富士館等に密会」
等々、娯楽の王様と呼ばれた映画の周辺は、犯罪の舞台としても悪の王様であった。
特に少年犯罪と映画、という論点で盛んに映画の悪影響について言及された。無理もない。強力な映画の魅力は、牧歌的な日本の田舎で刺激に対する抵抗力のない少年たちを翻弄した。
大正4年6月の「会津日報」は、ショッキングな記事を載せている。活動写真みたさに「便所の汲穴を潜る」と。
その三日後の記事にも、「ロハで見さたに」窓から音楽隊呼び込み室へ侵入した11歳と15歳の二人の少年が発見されるという事件がある。
11年2月の民報には「少年犯罪と映画」と題する論評があり、「郡山金透小学校にては此程学生五名が活動写真観覧の帰途窃盗を犯し之が為学生は停学父兄は訓戒を受け受持教師は進退伺いを出せり」と記している。
もちろん映画自体に罪があるわけではない。優良映画や教育映画の上映もあった。しかし、庶民はあらゆる種類の雑多な映画の中で、犯罪や活劇のスリルと刺激に敏感に反応したのである。
大正11年6月の民友は「四月中の活動写真の感化による犯罪にかかわった十四歳未満の少年は五名」(いずれも窃盗)となっている。

遊郭と活動写真

大正7年1月民報、川俣での話。どの町でも、遊郭と活動常設館がなじみの風俗産業だった。
「○喜劇活動好き 遺書して活動見物」
〔川俣町遊郭開盛楼抱娼花吉事□□すず(二十)は昨年七月中養父河沼郡坂下町市中□□五郎のために前借三百円六ヶ月の年期にて同楼に住み込みなしたが猿も木から落ちるの譬、娼妓花吉は何時しか客の胤を宿し早妊娠六ヶ月の身重になりました
▼花吉の嘆き一通りではありません、其は借金の上に借金が嵩み何時苦海より逃れでるやも測り知れませんのですから無理もないのであります、(略)考えた末に自殺を決意決心して遺書をのこし、郭を出たが、川俣座で開演中の活動写真を見物して冥土の土産にせんと同座に入りましたら面白くて面白くて一時は我を忘れて観て居りましたらハヤ嫌になって十一時半頃同座をフラフラ出て郭へ帰ろうとして居る所を捜索の者に発見された〕
(注。当時の新聞はプライバシーの概念がなく、実名がそのまま出ます。特に遊郭、犯罪関係は、頻繁に紙面を賑わし、それが売りでした。ここでは個人名を削除。)
大正7年といえば、日本でようやく劇映画が製作されはじめた頃。旧劇と新派ものの作品がかけられはしたが、人気のフィルムはたいていアメリカからの輸入ものだった。
この時、川俣座で何を上映していたかは不明だが、同日の民報によれば、福島の福島座では「抱腹絶倒滑稽活劇デブ君の海嘯全二巻」をやっている。同年3月2日には「徹頭徹尾西洋喜劇を上場してチャプリン大会を開く筈なり」などとある。どちらにしてもアメリカ喜劇である。
臨官席から見た映画への規制

検閲と興行取締り

●活動写真の検閲制度
この制度ははじめ地方庁が独自に行っていたが、内務省が統一的な運用基準を設けた。福島県では大正十年八月五日に警察部長の訓示として出されたの「活動写真検閲ニ関スル件」が最初。
訓示第六十号 大正十年八月二十日
活動写真映画検閲ニ関スル件
活動写真ノ映画筋書及生命ニ対スル検閲ノ方法基準其他左ノ通定ム

一、検閲官署
最初ニ興行ノ届出ヲ受理シタル警察官署ニ於テ検閲ヲ行フコト但シ映写室ヲ完備セル処ニ於テ為スヲ可トス
二、検閲者ノ資格(略)
三、検閲ノ方法(略)
四、検閲の基準(略)
左ノ各号ノ一ニ該当スルモノハ切除ヲ命シ又ハ全部ノ映写ヲ認可セサルモノトス
イ、皇室ノ尊厳ヲ冒涜スルノ虞アルモノ
ロ、国体政体ノ変更其ノ他朝憲紊乱ノ思想ヲ鼓呼又ハ風刺スルモノ(中略)
チ、犯罪ノ手段若シクハ証憑湮滅又ハ犯人ノ踪跡隠蔽ノ方法ヲ示シテ之ヲ誘致助成シ若シクハ模倣心ヲ惹起スルノ虞アルモノ(又ハ犯罪人ヲ賞血若シクハ排庇スルモノ)(略)
ル、猥褻ニ渉ルモノ又ハ恋愛ニ関スル事柄ヲ仕組ミタルモノニシテ劣情ヲ挑発セシムル虞アルモノ
ヲ、姦通其他不倫ニ関スル事柄ヲ仕組ミタルモノ(後略)
五、検閲票ノ下付其他
イ、(略)
ロ、切除ヲ為シタルトキハ之ニ封緘ヲ施シテ本人ニ下付スルモノトス(但シ県外ニ出テタルトキハ封緘ヲ本人ニ於イテ破棄スルモ妨ケナカラシムルコト)
六、検閲ノ効力(略)
その後、14年(1925)5月26日、内務省は「活動写真フィルム検閲規則」を制定し(内務省訓令第十号)、同年7月1日から施行した。
大正10年7月8日の民報に、松江緑という人物の「映画と児童」と題する論説が載っている。「全く準備に欠けた本県・映画特別取締規則を設けよ」との論である。
論評第5回の完結編には文中に「活動常設と称し得べきものは実に十七館の多きに達してゐる」とあり、当時の県下に17の映画館があったことがわかる。

政府推奨映画とは

それでは逆に優良映画とは何か。
大正10年5月13日民報「民衆教育と教育的写真」に、政府勧奨の映画例が掲載。
「文部省推薦映画
題名     種別 所有者 価値
良妻賢母   喜劇 国活  娯楽的
燃えさかる焔 人情劇 同  同
野性の女 人情喜劇 松竹  同
テキサスの小英雄 正劇 ユニバーサル 同
女は鬼門  正喜劇 日活  同
憶川島巡査の死 社会劇 日活 教育的
路上の霊魂  新派劇 松竹 芸術的
雛祭の夜   童話劇 大勝 娯楽的
山の抜く力 喜活劇 松竹 同
交通事故のいろいろ 実写 神奈川県 教育的
交通大宣伝実況 同 同
戸 学校生徒体操 国活 同
日本スケート大会 同 同 娯楽的
全国スキー大会  同 同 同
忠臣蔵     日活  同

皇太子訪欧の活動写真

同じ紙面に〔「香取の光景」活動写真を公開 御微笑せる東宮殿下の活動写真に歓呼を浴す〕という記事がある。昭和天皇が皇太子のときに訪欧の様子が映画に撮影され、ロンドンで上映されたことを報じている。
〔ポーツマス十日発 日本東宮殿下御到着の後御召艦香取に乗込み殿下に拝謁を願ひたるが殿下御安情に観劇したり当日多きの写真団及活動写真技師の一隊は皆日本宮中の典礼に依り殿下の御写真を撮る事を禁止されあり許されずと推したるが殿下には御機嫌麗はしく微笑給ひその御写真ロンドン市内活動写真館に於て日曜日香取の光景として映写されたるが群衆は到る処に於て御写真に対し歓呼したり〕
古い歴史を持つ東洋の皇国の日本国内で東宮の姿を映画に撮るなどとは考えられなかった。初めての海外体験となった皇太子の訪欧は、籠の鳥であった日本での窮屈な生活から一気に解放され自由さを満喫した。東宮じしんが活動写真のカメラを回す場面もある。屈託のない日本の一少年の姿がそこに映されている。それが英国の王都市民の前に披露された、と知って日本の新聞も驚いた。むろん、このことで皇室報道も皇族撮影も、旧態の情況よりはいささか進歩した。皇族の姿も撮ってよいのだと。
このフィルムは福島では松竹直営になったばかりの栄館で8月に上映された。
「栄館に東宮殿下渡欧活動写真」(7.28.民報)
とあるのがそれだ。

初めて見た映画と原町の旭座
内藤順(福島市)

〔私がはじめて映画を見たのは四、五才のときだから、大正八年ごろの野馬追のときだった。テントの小屋がけで他の見世物のようにお祭りを追って渡り歩いていたのだろう。
このはじめての映画には弁士が何人もいた。映画の画面に出て来る子どもの声、ほんとうの子どもで、男は男、女は女の声で数人がそれぞれの役を受け持っていた。この方法は一回しか見ていない。
二回目に見たのは原町の旭座という映画館で「城ケ島の雨」であった。歌川八重子という俳優の名もまだ覚えている。この映画を見るために兄と二人で原町まで歩いて行き、夜中に帰ってきた。
次は小学四年のことで学校で映画会が開かれた。場所は小学校の教室で、三つの教室の境の扉をはずして講堂代りにしたところで、夜暗くなってから始まるのである。(注。内藤氏は太田村の太田小学校に通学)無料公開ということもあって、みんな前々からたいへん楽しみにしていた。
その後、学校で引率されて町の旭座に行き「青い鳥」という映画を見た。メーテルリンクの有名な作品だと教えられ期待に胸をふくらませて行ったが、内容がむずかしくて何が何だかわからなかった。
その後、原町の旭座が常設館になった。常設館とは毎日映画を写すところだと教えられた。タ方になると入口の二階でラッパを吹く楽隊がにぎやかに演奏して客の心をあおり立てる。
芝居のときも同じだが、木戸賃を入口の売場の窓から払うと木札をよこす。これを持って中に入り、受付に渡す。履物は下足というところで預かってもらう。預かりのしるしに木札を渡してくれる。この札には「おの一」「いの三」などと書かれていた。「への五」というのもあると笑い話になった。
新しく芝居が来ると顔見せという行列が来る。たいていその夜演ずる芝居のふん装で人力車に乗って行列をつくって来るのである。こんな姿は原町のような田舎町でも何回も見られた風景であった。〕
(昭和59年「ふくしま大正少年・遊びの民俗誌」二上英朗編より)

大正の活動写真

内藤順(旧相馬郡太田村出身)が回想する大正8年頃に見た映画で、何人もの弁士がいたという記憶は、その当時の状況をそのまま描いている。
歌川八重子は都会派の好んだ松竹の栗島すみ子と並ぶ当時のトップ女優だが、庶民的で地方のファンに受けた。
淀川長治の自叙伝によると〔サイレント映画時代にはいうまでもなく説明者がついて画面を説明し、画面の中の人物の会話(しゃべり)もこわいろでやっていた。そして日本映画は大正八年ごろまでは一本の映画に四人も五人もの今でいう声優がついたのであった。女形專門のこわいろ、男役のこわいろ、子役はほんとうに声優少年が男の子や女の子のこわいろをやった。〕(「淀川長治自伝」中央公論社)とある。
メーテルリンクの「青い鳥」は文部省の推薦映画となり各地で上映された。大正13年6月に福島の新開座でインテリ向け試写会の後3日間一般上映。7月に若松の公開堂で鉄道青年会主催の試写会が開催され、続いて若松栄楽座で一般上映されている。
しかしこの映画は神秘思想を取り入れた内容が難解で、原町で子供だった内藤氏には難し過ぎたようだ。

福島の映画界 震災まで
徳山繁太郎の回想

徳山繁太郎という人が、昭和9年に書いた福島映画街への郷愁たっぷりの文章「福島映画懐想曲」から大正前半の様子がかいま見える。
〔それはもう、私の記憶の中では古色蒼然とした余りにも遠い想い出となってしまったので、あのころのことはただ岡庭梅洋、山田楽興、八巻正七なんていふ弁士の名と共に、夕闇迫るころ福島座の前や、当時石屋小路の一隅にあった大正館などの前で、かの夢みるやうなヂンタのリズムに恍惚として松之助か何かの絵看板に見とれている幼かった己の姿が、いみじくも甦へって来る位なものである。
稀には、新開座にかかった「名金」とかグリフィスの「イントレランス」「世界の心」などを親父について見に行った想ひ出もないではないが、やはり忘れずにいるのは毎週欠かさずに常設館へかよってパールホワイトやハッチスンの連続活劇に血を沸かした関東大震災前後のことである。
でここに、その頃の記憶を中心として若かりし福島映画街の思ひ出を漫然と語って見たいのであるが、人よ、これをしも徒らなる懐古趣味だと嗤ふものは嗤へ、只溝口健二の近業「瀧の白糸」を肯定した人達ならばこの思ひ出も、案外捨て難いなつかしさを呼び起すことだらう。

映画街と華やかさうに言ふけれ共、当時福島市内の常設館はまだ福島座と大正館の二つだけで、福島座のスクリーンでは尾上松之助が忍術をつかってほがらかに雲を呼び、今は下加茂の名監督衣笠貞之助が若い女形として満都の子女を納得させ、浪子やお宮になって袖をしぼらせ、大正館のスクリーンでは沢村四郎五郎一派の武勇伝が、松之助の向ふを張っていた。
その頃連鎖劇の全盛期でもあったので、前者は日活で輸入した米国パテーの映画を、後者はユニバーサルと提携して毎週エルモリンカーンやエデポローの痛快な猛闘撃を上映して、ファンの肉をおどらせたが、殊に十年ごろの初夏、福島座に上映されたルス・ローランドの連続大活劇「虎の足跡」と是にて、大正館へ来たエデポローの「消えた短剣」にはすっかり興奮して、私達の仲間はその応接に随分忙しい思ひをしたものであった。
覆面の怪人や謎の男だのがドンドン現れて劇を錯綜し、各編のラストでは必ず超人的な冒険のシーンを見せて次への興味を繋ぐのであるが、それでいて釣られると承知しつつ来週の続きを楽しんでいたあの頃の気分は今考へても、そう悪いものではない。
当時の説明で思ひ出すのは大正館の信夫一声が、現在でもそうだけれど、シとヒの発音が不正確で盛んに「ありまスた」を連発する時など、その頃小学校で「アイウエオ」をやっていた私達にとって実に不愉快であった。
然し、屡々「そのス(その日)のスンブン(新聞)を」とか「トス(歳)老いたるロウズン(老人)が」てな傑作を飛ばし、それに彼のバリバリした声量は連続活劇の説明にはふさわしいものだったので、兎まれ嬉しき存在ではあった。
福島座の「虎の足跡」では、揺籃時代の西村魁天がまだ暁夢と名乗って元気のいい説明をしていたが、格闘や追跡の場面になると、いきなりピアノの前へ飛んで行って、キイをポンポン叩いていた文字通り一人二役といふ忙しそうな彼の姿を思ひ出すのである。
そのうち福島座の経営者だった脱線故飯岡は、当時名前ばかりで寂しかった福島花屋敷を潰してその後へ今の福島劇場を建たのであるが、是と相前後して松竹栄館や大福座などが出現して、何とか福島映画街も賑やかになって来た。〕

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