青葉幼稚園の赤い屋根

 南相馬市の野馬追祭場地雲雀が原の原町陸軍飛行場の整備兵だった安川弘青葉幼稚園理事長は、ともに演習してきた陸士57期の士官から選ばれた特攻隊の隊長や隊員たちの飛行機を担当して見送った。青森で空襲を受けながら、原町にも犠牲者が出たと聞いた。
 それでも最後の時は来た。8月9日と11日の連日盲爆されて、終戦後に原の町駅に降りた時、瓦礫の山を見たという。
 3・11の地震と津波が襲って来て、戦後世代の我々は取材で聞いていた瓦礫というものを初めて見た。津波で636人が溺死。原発事故の関連死は孤独死と自死で日本一の犠牲者。
 終戦で虚脱した町には希望が必要だった。
 未婚女子も国家総動員法で陸軍飛行場の事務員として働いていた安川キエさんとお見合い結婚して戦後の幼児教育の場の青葉幼稚園を支える人生が始まった。
 それから65年たって、安川キエさんが98歳で長逝された。
 戦後の青春が平成の終わりに晩年を迎えられた。