幼児の声がする。「じいちゃーん」
先年、妻を病死で失った隣人は一人ぐらいだが、たまの日曜日に、宇都宮で暮らしている娘の一家が5歳と3歳ぐらいの孫が連れてきた。続いて、もう一人の一家も合流する。
あの娘たちはたしか桜の聖母のOGのはず。
暖かい陽気に恵まれて、明るい声にみちていて、終日、平和で楽しい近所の界隈だった。
わが団地には、子供というのがいない。みな成長してしまって都会に出ている。
しかも、お隣とお向かいとはす向かいの3連荘で、この一両年で3件の葬儀があった。
日曜礼拝の帰り、母を残す信者が帰宅する車で駅まで送ってもらって、西口から東口への地下トンネルで連絡し、バスターミナルで我が家方面への順路にちょうどいいバスがないので、途中でわかれる路線に無理に乗って、30分ぐらいの距離をしばらく歩いた。
きのうまで続いていた雨が降っていないし、むしろあったかい日差しは春めいて気持ちがよい。
ふだん歩かない道路を、子犬のように好奇心むき出しにして、初めての露地を探検していたら、我が家のそばに通ずる大森川の土手の散歩道を初めて通ってみた。
区画された車道の南北の交差を、斜めに昔からの蛇行しつつ、自然な流れに沿って歩いてみると、いつも車窓から観察している犬の散歩のようすの実態が体感された。
うっすらと背中に汗をかきながら、ただ帰宅するだけのために、途中でどこにもよらずに歩いた。
健康のために歩くなどという運動というものをせず、そういう趣味もなかったものの、
歩くスピードで眺める近所の風景は、新鮮だった。
高度成長の40年代以前の、のんびりしていた時代の子供のころの、黄金のテレビ世代の
楽しい思い出のかずかずを念頭におき、さらに江戸時代あたりの、この地元の、合併前の各村の農家ばかりの、かすかに残っている川べりの農用地に、田園の豊かさの名残を感じながら、
短い徒歩移動は楽しかった。
2台あった我が家の自家用車のうちのぼくの専用車を、えんえんと朝から晩まで詰って廃車処分にし、
こんどは妻の愛車のスペアキーをぼくから取り上げて、
ぼくを作家キングを誘拐したファンの女をホラー小説に仕立てた話のような状況で
飼い殺しにしよとの、異常心理の片りんを共感しながら、
それでも俺は自由に動くよ、とけっこう楽しんでいるよ。