十七年九月中旬、軍機保護法違反事件が発生。仙台憲兵隊から暗号電報を受けた。大東亜戦争で航空母艦、佐世保所属の「祥鶴」が、ガダルカナル海戦で敵艦と交戦、損傷を受け修理のため母港に帰還し、補修完了まで約一週間の日時を要したため、乗組員は四五日予定で一時休暇を許可されて帰郷した。

上野駅から常磐線廻り青森行きの急行列車に仙台まで同席した海軍兵が、生々しい惨状を語ったという。話し手が得意の心情であったため、これは軍機の遺漏であり、あまりにひどいと思った乗客は仙台駅に下車してから仙台駅の取締り憲兵に密告。憲兵は帰隊後、上司に報告。仙台憲兵隊から電報で原町憲兵分隊に打電してきた。これが暗号電報だったため、約一時間かけて解読。緊急を要すると判断して原町飛行場から自動車を拝借し、いっぽう浪江警察署に電話で当該兵士の出身地を調査依頼。憲兵二人が出向した。鈴木班長以下二名が浪江警察署に到着したのが午後六時頃。鈴木署長は隣接の百足屋旅館から夕食膳を取り寄せ、供応。くだんの海軍兵士は苅野村酒田出身の者であると判明。本人は役場に挨拶し、実家に泊まってすでに佐世保に出発していた。酒田の実家に兄を訪問して事情を聴取し、家族を原町憲兵分隊まで出頭させて具体的に取り調べたとところ、列車中で語った内容とほぼ同様のため、兄からの間接聴取書を作成して帰宅させた。

浪江駅によると、海軍兵の乗った列車は現在浜松付近であるというため、いそぎ暗号電報で佐世保に向わせたという。佐世保分隊では、軍機保護法違反事件ではあるが、航空母艦の艦長から「本艦は修理完了したので戦場に出向する。寛大な処置を願う」との申し出があり、処分保留のまま放免した、との状況の通達が届いて一件は落着した。十七年七月、原町飛行場は、鉾田飛行学校に移管。戦闘機中心の訓練が開始された。航空士官学校卒の教育訓練であるので、連日の猛訓練で事故も多発しだした。翌十八年四月頃より、原町飛行場から直接戦地へ出撃するようになった。

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