最初の飛行機訓練事故

昭和十五年八月十七日、開場したばかりの熊谷原陸軍飛行原町分教場で練習中の事故が起きた。緑川一良(いわき出身・八十二期下士官操縦学生)が、上空から転落し殉職した。
濁沼憲兵は「原町飛行場で十月中旬に」と記憶する。練習機の教官はシートベルトを締めたものの、学生が締め忘れて搭乗したため、原町下渋佐と大甕村境界の上空で、気圧ポケットに入って谷地に落下し死亡した。学校から通報があり、柴田班長以下三名が自転車で現場に急行。検証したが、飛行機は海岸近くの浅瀬に不時着していた。教官は軽症で無事だった。原町と大甕の消防団員により死亡した搭乗員の遺体は学校に収容された。機体は引き揚げて解体し、学校に搬送した。これが、原町分隊が扱う最初の事件となった。

昭和十五年十月下旬頃、北海道旭川師団軍法会議から、東京第一師団軍法会議に、青森発上り常磐線廻り急行で護送中の兵士が逃走した。警士二名は捕縛手錠の被告人が原ノ町駅通過中に目を覚ました時点で逃走に気付き、平駅に到着してから原町憲兵分隊に電話連絡した。隊では警士を出頭させて聴取書を取り、隊員全部に非常呼集。二名ずつ二班に分かれて付近の沿線を捜索。翌日、浜通りの警察に手配。意見書を付して通報した。

駅から50メートルほどの場所に庁舎が建設され、これは時節柄、シナ事変の進展に呼応するかのように突貫工事で進められて、十二月三十日までには完成落成した。新しい備品類も本部から続々と届き、大晦日には仮事務所から隊員全員が総力を挙げて引越し作業を終え、全員が営外居住なので簡単に祝杯を上げた。隊員は役所の紹介で下宿していた。