光のモニュメントで311追悼

 35年前に老朽化で撤去されたものの、200mもの高さの白亜のコンクリート塔は南相馬市民のシンボル・ランドマークとして共有の郷愁の光景が今も心の中に生きていた。
 震災満6年の3月11日には、犠牲者追悼と復興祈願の光のモニュメント実行委員会の官民オール南相馬の力によって、5基のサーチライトが一夜限りの夜空に栄光の姿を再現させた。美しかったし、町のどこからも見えた。
 白い満月がのぼる寒空に、イリュージョンのように超高層のタワーが現れると、歓声が上がり、それぞれの市民が幼時からの思い出をかみしめていた。企画主催者の須藤氏と、市民には同じ共通の伝説や話題が必要なのだと語り合った。
 関東大震災の第一報を、当時の最新鋭の長波無線でハワイとカリフォルニアへ打電し、首都圏被災者救援の端緒となった94年前の活躍を「原町無線塔物語」(ふくしま文庫)に書いたのは大学四年生の時だった。地方の名物が、首都圏を救った。3・11災害からの復興の今こそこのエピソードが必要だ。
 また見たいね、との声も聴いた。

3月の11日ころの夜って、こんなに凍てつく寒さだったのだと痛感した。あの悲劇の数日間は、最大の被曝の危険を政府から聞かされず、だまし討ちのようなフクシマの原発導入と、立地地と周辺市町村の全住民の退避という国内難民の身の上を、警告しつづけてきた営為はなんだったのだろう。素朴な国民性も善意も、変質する。汚染はすでに金権の国家中枢権力や資本トップの頭から腐り始めていることだ。原発事故とはモラルハザードの物質化だ。故郷を取り戻す運動の必要は、愛するものへの愛の再確認である。おおくの愛が壊れたが、311ではあたらしい愛が創造されることをも信ずる。

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