ぼくは、四旬節になら、早くもなく遅くもなく、ちょうどいい死に時だ思うよ。だって主イエスさまのお苦しみをしのんでいる今死ねるなんて最高だもの。どうせ死ぬなら、今がふさわしい。次の復活祭まで、生きるのもすてき。再来年の復活祭まで生きるのもすてきだし、今でも同じくらいにすてきな死期だ。でも、神様が死ねというなら、そのときがぼくの最もふさわしいはずのぼくの時だから、呼ばれたら「はいお父さん」と応えて、すぐに立ち上がって参ります。この世よりも、もっとすばらしい、あなたの元へと。そして、イエス様とまじかに、お父さんの家で、ともに永世の至福をあじわう。
もうこの世に未練などないし、ぼくの身近な肉親たちも、友人たちも、大半はあの世に行っちゃってる。しかも、最も愛する伯父と叔母とが、あの311の年の2011年にみな一斉にしんでしまいました。海岸の教え子たちも死んだ。しかも、その中には、僕の教え子たちの母校の相馬農業高校の体育館が溺死者の遺体安置所になって、知っている家族が真っ青な顔をして出て来た姿を見るにしのびない数週間を過ごしました。
ああ。この四旬節を超えて、生きて春も夏も、生きながらえるように信者のためにお祈りなさる神父さまはさいわいです。南相馬のまた県の海岸地帯の生き残った孤独な被災者たちは、こころが半分死んで、肉親が家族がすでに霊の世界にいて、心惹かれています。そいういう人が自死しているのですよ。生きているのが苦しいから、早く死んだ方が楽だ、とね。幽鬼のような知人がいっぱいいます。元気なボランテイアのみなさんが、あまりにまぶしくて、声が大きいので、こちらの心が萎えます。黙って一緒に座ってくれて、手を握っているだけでいいんです。そのほうが、ぼくには心が落ち着きます。復興も大切ですが、復興の槌音よりも、死者とともに生きる人も多いのです。どうぞ、こうした消極的なる、神様にちかい人たちのためにも祈ってください。ぼくは深更から起き出して、シスターたちの朝拝の始まる時を待ち、時祷のように好きな詩編などを唱えて、瞑想いたします。多くは、死んでしまった肉親など、思い出の中でしか生きていない愛する人々を思い浮かべて。
いつか日曜の朝の先生の福音のヒントの勉強会にまた出席したいです。あれが、ぼくにとっては最も神聖なひとときです。それとちあき先生ともお顔を合わたいですが、先生も忙しく、ぼくも忙しい。
それでも、今ルワンダに帰国中で5月1日に日本に戻ってくる松木町教会のルワンダの親友Maryルイーズと連絡がとれて11月3日に朝日座で、チャリテイ・トーショーを企画し、出演が決まりました。ぼくの司会で、もう一人の出演が立憲民主党のかねこ恵美先生を予定。こっちもぼくの親友です。
今年は去年のぐらいやって心蔵カテーテル手術を5回ぐらいやって今は体調もよいので、ちょっとがんばってうごきます。アーメン

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