2002 年 2月,出版のため原町に行く。「朝日座全記録」のゲラ最終校了して本は完成し、印刷にゴーサインが出るものとスポンサーの布川氏宅を訪問したのだが、彼はこのごに及んで「栄町商店街の近所の人たちが不景気でみな大変だと言っているなかで、自分だけが赤字を出さないで朝日座を閉館させて、今度は本を出す、新聞やテレビにも出ることになる。自分だけが脚光を浴びることになる。何といわれるか。
ことばが出なかった。ここまで仕事を進めてきて本ができあがった。印刷にかかれるという今になって、出版をやめると言い出したのだ。
自分ひとりでやりとげたのならいいだろう。しかし「共著」である。金を出す出さないは違う話だ。その神経がわからない。
他人の評判を気にして、一緒に本を仕上げた共著者の期待、生活、今後の予定や都合は全く考慮していないことを知って腹が立った。帰宅する夕暮れどきの東一番町から駅前通りに出る栄町商店街の路上で悔しくて涙がこぼれた。
本を書くという作業は精神を集中し時間を犠牲にし、すべてをその一点に焦点を合わせて、人生の頂点で出版の最後の段階の印刷にかかるときこそ、それまでのたくわえを注ぎ込んでこれまでのすべての犠牲がやっと報われる瞬間だ。
今回の出版で、本ができて印刷にかかるというところで三瓶さんが、印刷屋にストップをかけた3月初旬も、よく似ている。
最大効果のある日程はマスコミが注目する3月11日だから、この日まで印刷が出来上がるぎりぎりの締め切りはキング印刷の制作担当に確認して2月24日。これに合わせて土曜日の5時までに届けたが、猛烈な吹雪。タクシー代もない。
3月4日に津島地区に初めて取材で入ったので、
毎日新聞の大塚記者が3年前から福島の私を訪ねてくるようになったのは常磐線の開通にかかわる話題についてで、マスコミのすべてが小高に集中していた。
最初に「DASH村盛衰記」

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